2012年10月14日

スミス都へ行く

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スミス都へ行く (Mr. Smith Goes to Washington)

監督 : フランク・キャプラ
出演 : ジェームス・スチュアート ジーン・アーサー クロード・レインズ エドワード・アーノルド トーマス・ミッチェル ハリー・ケリー

129分


Huluにて視聴。

サムネイルは販促用として着色されているが、もちろん作品はモノクロです。

大好きなジェームス・スチュアート主演。そして、なによりフランク・キャプラ作品です。1939年製作。


ある州(作中では特定されていない)で、上院議員が病死したため、州議会の裏側では候補探しに慌てる。というのも、州選出議員であるペインと、州を牛耳る資本家のテイラーは癒着しており、州におけるダム建設法案とその利権を守るため、子飼いにできる敵対しない候補が見当たらないためだ。そこでボーイスカウトの団長である青年、ジェフ・スミスを指名することになる。いきなり上院議員になってしまったジェフだが、さっそくワシントンへ登り、全国の少年たちのためのキャンプ場建設の法案づくりに燃える。しかしそのジェフの挙げる建設候補地が、テイラーたちの目論むダム建設予定地だったため、ジェフを毒にも薬にもならないと踏んでいたペインたちはまたも慌てることになる。
ペインとテイラーは、ジェフに汚職の容疑を着せ、総力を挙げて潰しにかかる。


オスカー11部門ノミネート。ジェームス・スチュアートはニューヨーク映画批評家協会賞にて男優賞受賞。

やべえ。すげえ面白かった。

ジェームス・スチュアートはやっぱりいいですね。惚れますね、まじで。
この、なんだろう、こういう俳優は他にいませんね。そういう意味では、ジェームス・スチュアート出演の作品はリメイク不可能ですね。

ジェフは意気揚々とワシントンへ出向くわけで、まさに「都へ行く」なのだが、いきなり都会のマスコミの手痛い洗礼を受ける。それに腹を立てたジェフは記者たちにつかみかかるが、もうこの時点で政治家としては失格路線へ傾いている。
ジェフは実直で正直者で愛国者で、超がつくほどのお人好しだ。愛すべき人物なのだが、そんな彼がなにか機転をきかせて困難を切り抜けるなどという期待はすべて裏切られる。政界に生きる人間ではないのだ。

そんなジェフをサポートする重要なキャラクターがいる。ジーン・アーサー演じる秘書のサンダースだ。
サンダースは、キレ者のキャリアウーマンで、なぜジェフが議員に指名されたのか、その大人の事情のからくりさえも悟っている。そして田舎者の、政治に疎いジェフの秘書にあてがわれたことを呪っている。
サンダースはジェフの子守役に抵抗を感じ、辞職するとまで言い出すのだが(そして、本当に一度辞職する)、いつしかジェフの熱意に引かれて、結局ジェフのためのリーサル・ウェポンへと変容する。


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実はこの作品、俳優のクレジットとしてはこのジーン・アーサーが先頭になっているくらいで、このサンダースというキャラクターが非常に面白い。
サンダースの辞職理由の本質は、単純にジェフやその子守に嫌気がさしたというのではなく、純粋なジェフが政治の世界で傷つく姿を見たくないというのがそれだ。
しかし、彼女は帰ってきて、ジェフに燃料投下をする。

巨悪に勝てるわけがないと消沈しているジェフに対するサンダースの印象的なセリフに、「そんなことより、信じるならもっと大きいもの信じなさい(you had faith in something bigger than that.)」というのがある。

なんだろう、こうしてレビューを書いていて、様々なシーンを思い返す度にちょっと目頭が熱くなってしまうのは。
とてもシンプルな作品で、単純なストーリーなのだが、やはり人が目的を持って必死に闘う姿や、何かを信じて行動する様の魅力というのは、理屈の世界ではないのだな。

この作品の戦いは、資本主義と民主主義の摩擦 という構図でもあり、大義が人間を(敵をも)を動かす、というアメリカらしい内容となっている。


フランク・キャプラといえば、「或る夜の出来事」「群衆」、そしてなにはなくとも「素晴らしき哉、人生!」だろう。
のちの「素晴らしき哉、人生!」で活躍する俳優が何人か、この作品に顔を出している。

アメリカ映画協会の「感動の映画ベスト100」の1位に君臨する作品だが、5位にこの「スミス都へ行く」が入っている。
フランク・キャプラ作品がアメリカ人に支持されるのは、やはり実に「アメリカ臭い」からだろう。

だけど、「素晴らしき哉、人生!」は、普遍的な、人類の根源的なテーマを扱ってる。「タイタニック」のテーマをとっくの昔にやっちゃってる。それだけに、パブリックドメインということもあって、これはもうアメリカ人だけの財産ではないと言いたいw
僕にとっても10本指に入る作品だ。

「素晴らしき哉、人生!」は、フランク・キャプラが自身の集大成を賭けた作品だった。
そして「スミス都へ行く」は、その遺伝子形成を垣間見せてくれる。

もし両方とも未見の方がいましたら、ぜひ死ぬ前に押さえておくべきですよ。






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2012年10月13日

HUMANS OUL

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HUMAN SOULというインディーズ・バンドがある。(もしくは、あった。この意味は読みすすめていただければわかる)

かれこれ5〜6年前、あるネット番組でインディーズを紹介するコンテンツがあり、その撮影にアシスタントで参加した際に出会った。

取材対象のバンドのうちのひとつだったわけだが、このHUMAN SOULだけアタマひとつ飛び抜けていた。

まず演奏力。そして楽曲。ヴォーカルはまだ少し固いというか、リラックスできていない印象だったのだけども、充分な実力を持っていた。
路線としてはロックなのだが、雑食な感じで、メンバーたちがそれぞれ好きなジャンルあって、それらをうまく融合している感じ。
個人的には和製 Lost Prophetsと受け止めていて、かなり似ている。下手すると影響を受けているかも知れない。

ともかく、「こいつらすごいな」と思って息を詰めて見ていたのだが、まだ立ち上げたばかりだったのか、一番集客していなかったため、最もオーディエンスの反応がもらえないバンドとなってしまっていた。
パフォーマンスは地味だったし、なによりその時点ではまだヴォーカルに華がなかった。しかしこれはヴォーカルだけの責任ではなく、メンバー全体で研究、構築しなければならない問題だと思った。
楽曲が非常に高度なため、それをこなすだけで精一杯のヴォーカルは、萎縮してしまっていた。個人的には、それを生んでいるのは他のメンバーにも責任があると感じた。

しかし、数をこなしていけばそれらは突き抜けていくし、こりゃあ下手すると化けるかもしれんと思った。無反応のオーディエンスたちに「なんでおまえらこれ無視しちゃうの」と言いたくてしょうがなかった。

とにかく、すぐその場で彼らが出しているCDをまとめ買いした。といっても、2、3枚しかリリースしてなかったと思うw


その後、ライヴを覗いてみようと思ってインフォを拾おうとサイトへ行く度に、直近のライブ予定がまったくないというすれちがいがことごとく続いた。
というか、活動しているのかさえ怪しい時期があった。

自分の演出する舞台に楽曲を使わせてもらいたいと思った時期もあったりしたので(舞台は流れてしまったが)、たまにサイトはのぞいていた。
また、自分が関わっていたバンドのイベントのブッキングで頼んでみようと思ったこともあった。しかし、サイトは動いていなかった。


そして今日、ライブをやってないかなーと思い出して、久々に検索をかけたら、まったくひっかからない。

仕方ないので、アルバム名で検索したら、驚いたことにAmazonの販売ページでひっかかった。


今日になってはじめて気づいたのだが、HUMAN SOUL ではなくて、 HUMANS OUL だったのだwwww
検索にひっかからないわけだわ・・・・

取材の時に聞いたバンド名「ヒューマン ソウル」という"音"で覚えてしまっていたため、これまでずっとHUMAN SOULという表記だと思っていたのである。アルバムにもちゃんと表記されているのに、思い込みとは困ったもんですのう。


で、そのAmazonのアーティスト紹介を見てまたびっくりした。

一部抜粋する。


2007年に自主レーベルMines Recordを立ち上げ、ファーストアルバムをリリース。無名の新人、ノンプロモーションにも関わらず イニシャル数が1000枚を超え、発売2ヶ月で在庫切れとなるなど話題を呼ぶ。また、インディーズ試聴サイトaudioleafでは常に高回転を維持し続け、並み居るインディーズバンドを押さえ2008年以降常にランキング1位をキープ!※現在25万プレイ通常のファンのみならず、音楽関係者やミュージシャンからの人気や賞賛の声が多く、無名のインディーズバンドにも関わらず『ギターマガジン』にプレイヤーとしてインタビューが載るなどその音楽的なクオリティの高さは特筆すべき点である。


なんと。やるじゃないか。

で、Webサイトを見つけてライブ情報を見てみると・・・・また活動の気配がない!! (>_<)

去年の5月あたりでライブ情報は途切れている。


なんでいつもこうなんだw



しかしま、また動きが見られる時がくるだろうと思うので、ちょくちょく監視しようと思うw




posted by ORICHALCON at 15:59| Comment(1) | TrackBack(0) | Sounds

2012年10月12日

au vs SoftBank

昨日、大崎駅に寄る際に確かめておこうと思っていたことがあった。LTEの入り具合だ。
電車による移動というのは、退屈なわけで、もともとバイカーだったこともあり、自分がただ物体として運ばれていることにイライラする。だからこんなくだらないことにささやかな楽しみを覚えてしまう。

というのも、auとソフトバンクが、なにやらLTE帯のつながりやすさについて争ってるという話題をどっかのサイトのニュース系トピックスで見かけたからだ。

争うというか、auが「うちの方がつながる」的な比較広告(非公式なものらしいが)を打ってるらしい。

その内容が、山手線全駅におけるLTE受帯の可否なのだけど、auが圧勝だそうだ。ただし、両方ともダメってとこもあって、そのひとつが大崎駅だったのだ。
ただ、このソースはどうも、ネットにおける検証記事らしい。

結果的には、ソフトバンクについては大崎駅でLTEは普通に入った。
ネットにおける比較検証記事はあまりあてにならないのかも知れない。
つまり、この僕の報告さえも信用できるものではないと言えるわけで、「改札じゃ入らないぜ」という結果もあり得る。だから、どこでどう入るかなんて、本来は気にしすぎるだけご苦労なハナシなのかも知れないが、LTEはつながると確かに爆速なので、やはり重要な要素なんだろうな。
なにしろ、携帯の強度バー表示で、LTEが一本だったとしても、3G5本より速い。

まあ、それはさておき、非公式なものにせよ、比較広告が出された場合、出す側になにかしら不利な状況があると見ていい。
過去の例をみても、弱味がある企業ほど、そういうのをやる。比較広告という攻撃的な手段を取るというのは、危機感があるからなわけで。

ソフトバンクがそれに対してどう出てるかは知らないのだけど、孫社長はことあるごとに「健全な競争云々」と言い、記者会見でも徹底して他企業を「さん」付けで呼ぶからして、露骨な反撃はないかも知れない。
ちなみにこれに影響受けてか、最近のdocomoの社長すら、呼び捨てだったAppleに「さん」を付けるまでになっててちょっと面白い。

さておき、調べてみるとiPhone5にかぎってはソフトバンクがどうもちょっとだけ有利のようだ。iPhone5対応の2GHz帯の基地数が全然ちがう。

本当に入りやすいのはソフトバンクのはずだが、問題はiPhone5以外の端末も使用しているため、混雑しやすいということだ。
auの2GHzの基地数はソフトバンクの三分の一程度だが、iPhone5にしか対応していないため、混雑していないとうこと。

つまり、フタを開いたらどっちもどっちという結果なんだけども、基地数が圧倒的に多いのはソフトバンクということに、auは焦ってるのかも知れないね。

僕はソフトバンクだけど、このキャリアになにか愛着があるとか、そういうのは全くない。むしろ、不満も多い。
iPhone5にする際、気分転換にauにしてやろうかと思ったくらいだ。でもやっぱりめんどくさかった。

ソフトバンクに関していえば、僕は東京デジタルホンからの顧客だ。忌野清志郎がCMしていたという理由だけで選んだ。(ちなみにdocomoは桑田佳祐だった)
J-PHONEに社名が変わり、ボーダフォンに買収されて、またソフトバンクに変わるなど、忙しいキャリアだったなと思う。

つながらない、その上電波の質が悪い、というのがソフトバンク。
顧客満足度では到底docomoやauには勝てないソフトバンク。

でも長い目で見れば、最後に勝つのはソフトバンクじゃないかなと思っている。

つながらないとか、電波の問題とかは、それはある意味、後発だっただけの話で、逆を言えばよくも短期間でここまできたなと思う。
つまり、成長しているのはなんてことはない、ソフトバンクの方だということ。

“クソ”フトバンクとまで言われたそれが、上位企業から比較広告を引き出すまでになってるのだから面白い。

社長が逃げも隠れもできないところまで顔出しちゃってるというのも期待できる。
したたかな孫社長については、見方によって功罪や好き嫌い分かれると思うけど、この人はもう負けられないでしょう。仕事や企業に人生がかかっちゃってる。
docomoにもauにもこんなのはいない。コケたら首がすげかわるだけなわけでしょう。

先日、ソフトバンクがイー・モバイル買収したかと思ったら、今度はアメリカのスプリント・ネクステルを買うだって?

スプリント・ネクステルはアメリカの第3位にあたる携帯会社だそうだが、上の2企業に大きく水をあけられており、かなり落ち込んでるらしい。大丈夫なのかなと思うけど、でもそれを言ったらボーダフォンだって孫社長の買収時は死に体だった。それはユーザにもそこはかとなく感じ取れるくらい終わりかけてた。報道する世間の風潮もこの買い物にどこか失笑気味だった。

Yahoo BBの強引な展開が気に障っていた人々も多いので、「この勇み足で潰れちゃえ」みたいな声まであった。

そして初代iPhoneが発表。しかし日本側はかなり冷めていた。というのも多くの関係者が、こんなの日本で普及しないと見ていたのだ。
そう、見ていたのは「関係者」であって、つまり頭のどこかで「普及されてたまるか」といった抵抗感や危機感があった。そういったものを煽るほど、衝撃的な発明だったわけだ。

日本での取り扱いに最初に手を挙げたのが孫社長。この時もまわりは「またこいつか」的な風潮で、「自らクソつかんだ」というノリさえあった。


で、今はご覧の通りだ。


そもそも、iPhoneを取り扱う上でのApple側の条件というのは相当厳しいものだったらしく、docomoはこれを飲めなかった。自ら生んだヒット商品のiモードに固執していたというのもあって、「iPhoneは日本では普及しない」というスタンスになった。で、今も飲めない。

対して、孫社長はこの厳しい条件を飲んだ。喜んで飲んだとも聞いている。ジョブズと友人だったというのも大きいのかも知れない。

これがなかったらもしかすると、大袈裟に言えば未だに日本ではiPhoneはなかったかもしんない。


現在、docomoはiPhone5の波でMNP流出が増加しているという。

ただ、これは別の見方をすれば、アメリカ企業に日本の市場が奪われているということになる。

そういう見解でこの事象に抵抗を感じる人がいるならば、海外進出を果たそうとしているソフトバンクとキャリア契約するなどして、応援したらよろしいと思う。

うまくいけば、日本のキャリアの端末が海外市場に出るという初の事態になるかもしれない。

まあ、なんだろうと構わない。
たかが携帯のハナシなわけで、どこのキャリアがどうなろうと本来は知ったことではないのだけど、これだけは言える。

この調子だと、最後に勝つのはソフトバンクだろう。

企業は人だということをソフトバンクは表している。

ジョブズが生きていれば、iOS6のマップがここまでひどくなったりはしなかったと断言できる。Google Mapの可能性に最も興味を示し、最も切り拓いた人物が、マップ機能をあなどるわけがないでしょう。


ソフトバンクが勝てなかった場合、それはdocomoやau側に匹敵する人物が現れるか、孫社長が長生き出来なかったという時だろう。

でも、どうもこの人は長生きしそうだね。

なにより、本人がそのつもりだろうと思う。


posted by ORICHALCON at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | Mac & iPhone

2012年10月11日

0:34 レイジ34フン

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0:34 レイジ34フン

監督・脚本 : クリストファー・スミス
出演 : フランカ・ポテンテ ポール・ラットレイ ケリー・スコット ケン・キャンベル ショーン・ハリス

85分

いっこまえの「ミッドナイ・ミート・トレイン」のエントリのつづきのような感じとなりました。
「ミッドナイト・ミート・トレイン」が物足りなかったので、口直しのつもりでHuluのラインナップから見つけた一本。
同じ地下鉄を舞台としています。

原題は「Creep」。
このなんともひねりのない、ホラーとしては直球すぎるタイトルw

ホラーというのは日本公開において、もっとも「邦題にすりかえられる」率の高いジャンルとも言えます。
で、輸入ホラーを楽しむ要素のひとつとして、原題を知っておくのも結構良かったりすん時もあんのね。

邦題がつけられるというのは、これは日本の配給が「この原題では人が入らん」と判断しているわけで、つまりは「人を入れよう」という思いで邦題をひねり出す。
しかし、ヒットしたり、名作と謳われるホラー&スプラッタってのは、案外原題のままか、直訳だったりすることが多い。

< 原題まま >
チャイルドプレイ
ペットセメタリー
ヘルレイザー
キャリー
オーメン
エクソシスト
サスペリア
デモンズ
ソウ


< 直訳系 >
A Nightmare on Elm Street → エルム街の悪夢
Friday the 13th → 13日の金曜日
(もっとあるだろうが、めんどくさくなってきた)


原題ままの場合は、心霊系が結構多い。心霊系というのは、タイトルも作品の概念を表そうとするからかも知れない。
まるっきり邦題がちがうものになりやすいのは、スプラッタ系。

「悪魔の◯◯」とか「死霊の◯◯」とかね。

「悪魔のいけにえ」はThe Texas Chain Saw Massacreだ。「テキサス電ノコ大虐殺」?

つまり心霊系は概念や観念を表すために名詞になりやすいから、そのままでいける確率が高くなる傾向であるのに対し、スプラッタは事象を説明する形容句風になりやすいがために、「もうちょっとわかりやすくしようか」となるのかもしんないね。

原題からかけはなれた上での、邦題の傑作はやっぱ「バタリアン」かな〜。
原題は「Return of the living dead」(帰ってきた生きる屍)なのだが、これは確かに日本じゃそのまま出せないでしょう。

Battalionは、大隊・大部隊という意味で、複数形のBattalionsで大群という意味になる。
作品に照らしあわせても、なかなかいいじゃないですかw


さておき、今回の「Creep」ですが、確かにこれじゃあ、日本ではまずいと判断されますな。(原題としても微妙ですしね・・・)
で、「0:34 レイジ34フン」というわけで、これはなかなか意味深ですが、単に主人公が乗りそこなった地下鉄最終を指す。


イギリス・ドイツ合作で、舞台はロンドン、主人公のケイトをドイツの女優、ボーン・シリーズでお馴染みのフランカ・ポテンテが演じています。


地下鉄の駅のベンチで寝過ごして最終に乗り遅れたケイトは、営業の終了した駅に閉じ込められていることに気づく。途方に暮れているところへ、列車がホームへ入ってきた。ケイトは飛び乗るが、突然列車が急停止して・・・・


どうしてもホラーというのは、上のようなあらすじ説明になってしまうね。「それが悪夢のはじまりだった・・・・」とかね。

同じく地下鉄を舞台とした「ミッドナイト・ミート・トレイン」は、NYの地下鉄(撮影はロスらしいが)で、いかにもこう殺伐とした掃き溜めのような絵で撮られているのに対し、この作品はヨーロッパらしい、清潔感のある地下鉄。照明も明るいし、ホワイト基調で統一された車内と、パステルカラーの座席。

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対比的だが、「0:34 レイジ34フン」はこの清潔感ある世界が徐々に吐き気を催すような領域に変貌していくというのがなかなか良い。

「ミッドナイト・ミート・トレイン」のレビューで、観客とキャラクターを合致していくのが大事と言ったけども、それは簡単に言えば「感情移入」なわけで、キャラクターの行動や心理に説得力があるかが、こういった生死にかかわるストーリーには重要だ。

ケイトはそれなりに個性的な部分もあり、女性としては決して普遍的とは言えないが、一人の都会人としては充分リアルで、誰もが共感できる考えと反応をする。

この、清潔感のある世界と、誰もが身に覚えのある感覚を表現する女性は「日常」の象徴で、それが「非日常」へと変化することによって恐怖を描くというのもホラーのセオリー。

そういう意味ではとても古典的なのだけど、こういうのはセンスのいい監督がやると、充分怖がらせてくれる。

で、正直、やっぱ怖かったw


やはり「想像力」を使わせられるというのはいいね。
そう、特に前半はダイレクトに見せずに想像力だけで怖がらせてくれる。
かといってもったいぶってるわけではなく、単に主人公の視点にいるからなわけだけども。
ただ、この「主人公の視点」というのをもっと徹底したら、この作品はもっと極上のものになっていたと思う。

残念ながら、主人公が知り得ない視点にいくつか飛ぶところがあって、こういうのを我慢できるかできないかで作品というのは大化けする。

視点をできるだけ(たとえばキャラクターに)固定するというのは、観客の感覚に訴えるのに非常に効果的だ。
問題は、観客がその視点からはずれた時で、たとえば前出の「ミッドナイト・ミート・トレイン」は、「警察に行けばいいのに」とか一瞬でも思った時、すでに離れている。
ホラーだのスプラッタだのってのは観客の感覚に訴えてなんぼで、「頭」を使ったり「思考」しはじめたら成功からすでに遠ざかってる。

映画は技法として視点を自由に飛び交うことができるので、つい、いろいろとやりたくなるがゆえ、この「視点を固定する」というのは作家側(脚本家だろうが監督だろうが)に相当な自制心がいるw
しかし、これを武器として体得すると、シーンや作品をとてもシンプルかつ美しく仕上げる手段を得たに等しくなる。

ホラーではないけど、スピルバーグの「未知との遭遇」で、旅客機がUFOとニアミスするというシークエンスがある。
最近の娯楽大作なら、このシーンをCGも駆使して迫力たっぷりに見せてくれるだろう。

しかし、「未知との遭遇」では、この事象をインディアナポリス空港の管制室のみで描く。有名なシーンである。
旅客機からの無線報告と、レーダーに映る輝点、そしてその報告に耳をすまし、レーダーをみつめる管制官たちの表情だけでやってのける。

↓そのシーン
http://youtu.be/PKUGi0XtsvQ?t=7m38s


ずいぶんと予算のかからない方法を取ったものだが、これがかえって見る者の感覚になんとも言えない臨場感を与えてくる。

最後の管制官の「AE-31便、U-F-Oとして報告するか?」との問いに、無線は無言になる。
さらに問う管制官。「AE-31便、U-F-Oとして報告するか?」。

迷っているパイロットの顔は必要なく、これだけで充分だ。

しかし、パイロットの顔にカメラを飛ばしてしまう映画というのがある。
それが悪いとは言わないけど、少なくともこのシーンは管制室という視点にとどまることによって、かえって観客をひきこむことに成功している。
そう、観客の感覚と想像力に訴えかけているからだ。


「0:34 レイジ34フン」は前半、ずっとケイトの視点で進行する。
他にあるとすれば、ときたま「ケイトを監視する不審者の視点」ともとれるカメラワークがあるのだが、これはいいとしよう。
ケイトの乗った列車が不穏な停止をした時、ケイトは最前列の運転室まで行って、運転室のドアを叩く。が、反応がない。

ここでカメラは切り替わって、運転室になる。惨殺されている運転士・・・・という絵だ。もちろん、それはケイトには見えていない。

これで観客は「わぁ・・・どうなるんだろう」と思うのだろうけど、ここで視点が飛んだことによって、観客の中にはケイトから一歩離れるという化学反応が必ず起きている。

これはもったいなかったと思っている。余計なお世話なのはわかっているけども、これを徹底していったら、もっと忘れられない作品になっていたと個人的には感じる。


黒澤明の「天国と地獄」では、誘拐の電話が入ってからは、権藤邸から一歩も出ない。それこそ、居間から視点が動かない。
だから観客は誘拐犯の電話に耳をすます。これは、そこに居合わせるキャラクターたちと共有する体験だ。

ここに、誘拐犯である竹内の絵はいらないことは誰にでもわかるが、ここでそれをやってしまう映画というのがあるわけだ。
竹内の絵が入った瞬間、観客は第三者目線になってしまう。

特にホラーの肝は「視点」であって、良質なホラーは観客を第三者へ置かない。


ただし、この「0:34 レイジ34フン」はほんとに最後の最後、ラストカットのケイトのアップで、とんでもない演出をやってみせる。
これで僕的にはチャラな気がしたw
こういうのもあってもいいかも知れないw

ホラーというのは救いようのないラストが多いが、このブラックでアイロニーかつ、ニヤっとしてまうラストはなかなか。

頭から最後までスタイリッシュで、まさに"都会のホラー"でした。

いろいろ言いたいことも書いてしまいましたが、秋の夜長に一人で観るには、充分な作品でしたよ。




posted by ORICHALCON at 05:54| Comment(305) | TrackBack(0) | Cinema

ミッドナイト・ミート・トレイン

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ミッドナイト・ミート・トレイン

監督 : 北村龍平
出演 : ブラッドリー・クーパー  レスリー・ビブ  ヴィニー・ジョーンズ  トニー・カラン  ロジャー・バート  ブルック・シールズ

103分

Huluにて視聴。

直訳しちゃうと「真夜中の肉列車」。そして、内容も直訳通りなんです。

タイトルからしてとてもチープ感が受け取られたので、何も考えずに喜んで再生したんです。
「あはは」とか、笑いながら見れるのかなと思いまして。

そう、なんの前情報もなしに観てしまったのですが、さっき調べてみたら、北村龍平監督のハリウッドデビュー作だったんですね!!(汗)
北村龍平監督は内外でも賛否別れますが、評価されるだけに才能があるのは間違いないんです。間違いないんですが、なんだろうな、残念ながらファンにはなれない。

日本人でハリウッド進出という偉業ですから、日本の映画ファンとして応援したいのですけども、なぜか愛着が持てないんですね。これはなんでだろう。

原作が「ヘルレイザー」のクライヴ・バーカーだというのもびっくりでした。

日本公開はされているのでしょうか?


NYの街を撮り続けるフリーカメラマン、レオン。ある夜、地下鉄の駅で不良にからまれる日本人女性を助けるが、翌日の新聞で彼女が行方不明ということを知る。別れ際に撮った、地下鉄に飛び乗る彼女の写真には、不審な男の手が映っていた。その手には印象的な指輪。そしてその指輪の男を街で見つけるレオン。追跡すると、男は食肉解体工場で働いていた・・・


鑑賞はちょっと覚悟がいります。当たり前の話ですが、R18+なので明らかに一般の人向けではありません。

まあまあよく出来ています。というか、「まあまあよく出来てるね」という程度の評価になっちゃう。

北村龍平監督にどうして愛着が持てないのか、ちょっとわかった気がします。

たとえば、「あずみ」でも感じたことなのだけど、アクションシーンに発生するこれでもかというカメラワークがあります。グルグル回っちゃったりとか、ものすごい動きとかするんですが、シラケちゃうんです。なんでかというと、こっちが「カメラ」に気づいてしまう。我に返ってしまうんです。
カメラ、と言っても、だいぶデジタル処理でやっているみたいですが、「デジタルでやってるね」とか、そういうことを考えちゃう。

これは殺戮シーンでもそうなんだけど、「ああ、CGだね」ってなっちゃう。
血しぶきとか、飛び出る目ん玉とか、かなりCGが使われているのだけど、これらもあまり上手い部類ではなく、「ああ、CGだ」とぼんやり眺める感じに収まってしまっている。
基本的に、誤魔化したりせずに「はっきり見せちゃう」路線でして、そのためにCGが大活躍となってしまっています。

映画というよりも、テクニックを見せられていると気づいてしまう瞬間が多いんですね。これだなあ。


まあそれはいいとして、問題は脚本であり、特に主人公のレオン。

観ている観客は、「よっぽど自分の方が、主人公より頭がいいだろうな」と思っちゃうんですね。
そう、主人公のレオンがまったくダメなんです(これは主人公に限ったことではないんですが)。「普通、こうするだろ」ってことが出来ない。出来ない上で窮地に立たされたりしてるから、「んもう…」となる。

これは、「そっちに行っちゃだめだ…!」とか「志村うしろ〜」的な、ホラー特有のハラハラ・ドキドキな観客の心の叫びの類ではありません。
「いや、それは普通、見つかるだろう」とか、「そんな調子じゃ気づかれるだろ!」とか、「そんなとこ逃げこむか普通!」とか、どっちかというとツッコミや疑問に近い。

上手いホラーというのは、登場する人間の心理や行動と、観客のそれとを上手くすれすれに合致させながらすすめる。それがあるからこそ、その合致がずれた時にショックが起きる。

ところが、「なんでそうなる??」という心理や行動の連続で、かえってそれらがこの作品をウソっぽくしてしまっている。ヴィニー・ジョーンズ演じる殺人鬼にも、なにひとつ「ホントらしさ」がない。
ホラーなんて、もともと「ウソっぽい」わけですが、だからこそ、観客が一瞬でも信じられる要素をちりばめて釣り上げていく必要がある。

失敗している映画というのは、多くが「観客がどう捉えるのか」を見誤っているということで、ひどいのになるとまったく意に介してないというのもある。
最高の監督というのは、実は「誰よりも最高の観客」であり、だからこそ、その観客を操ることができる、と僕は考えている。

それは脚本にも言えることで、この作品は「自分だったらもっと上手く解決できる」と冷静に観客が思ってしまうようなエアポケットがいっぱいあるわけです。
つまり、主人公を追い詰めてるのはご都合的な脚本であって、シチュエーションでも殺人鬼でもないということ。ホラーはこうなったらオシマイです。

だからちっとも恐ろしくないのです。

単に、エグい、グロい、見てて痛々しい、の連続なんですが、「スプラッターなんだからこれでいい」とも思わせてくれない。

とても消化不良な気分だったので、やはりHuluで、同じような都会の地下鉄を舞台としたホラー、「0:34 レイジ34フン」を観てみたら、よくできていた。

ということで、この「0:34 レイジ34フン」のレビューへさっさと移ろうと思います。






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