2012年10月20日

JUAN OF THE DEAD

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キューバ初のゾンビ映画だそうです。27日から公開。

笑っちゃうのは、最初はゾンビによる襲撃を、新たな革命による反体制派の暴動だと勘違いしているとかw





公式サイト (注意 : 音出ます)


こういうのって、絶対「ゾンビランド」の影響だろうねw

くだらなそうで面白そうだなあ。

行っちゃうかも知れないなあ。
posted by ORICHALCON at 09:06| Comment(2) | TrackBack(1) | Cinema

2012年10月16日

ビッグフットの証拠

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ビッグフットの証拠


Huluにて視聴。
いっこまえの「ゾンビの真実」が笑えたので、見てみた。
ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルのドキュメンタリです。

いやはやどうして、まさかの展開で意外に面白かったw

ビッグフットは、北米全域からカナダ国境一帯にかけて、多数の目撃報告のある類人猿型未確認生物の総称・俗称。
人でもない、猿でもない、その中間に位置づけられると認識されているので、もし存在したとしたら大発見です。

ビッグフットの目撃報告は数百件にのぼる。また、足あとも多く採取されており、体毛なんかも発見されている。
特に有名なのが、俗にパターソン・フィルムと呼ばれる、1967年にロジャー・パターソンが撮影した8mmフィルムだ。
これは山の中で出くわしたビッグフットを撮影したものなのだけど、この手のものに興味のある人ならば、写真とかでその一コマを見たことがあるかも知れない。





このパターソン・フィルム、一般的には「いたずら」と見られていて、着ぐるみを着て手伝ったと言い張る男の証言まである。
あまりにも動きが人間臭いので、やはりそういう疑惑を持たれてしまってもしょうがない。
しかし、撮影した本人は最後まで真実だと主張し、1972年に亡くなっている。

これまでされてきた多数の目撃談や、足あとの類は、うそっぱちも多いだろう。

ということで、この番組では「結局のところどうなんだ?」という検証を行なっている。

このパターソン・フィルム、これの表に出回ってるやつはコピーのコピーのそのまたコピーだったりするそうで、かなり劣化して不鮮明となっている。
そこで番組は、健在なパターソン夫人より、貸し金庫に眠っていたオリジナル・フィルムを引っ張りだすことに成功する。

で、それを一コマ一コマ、デジタル処理で手振れや、さらなる不鮮明さを修復し、解析していくという気の遠くなる作業を敢行する。
さらに、撮影場所を見つけ出し、その一帯をレーザー・スキャンして精密な3Dジオラマを作成し、パターソンの立ち位置やレンズの焦点距離まで割り出していく。
これによって、被写体の身長などもわかるのだ。

さらに復元されたフィルムを元に、被写体のモーション・キャプチャリングを行い、骨格や筋肉の動きまでも解析する。
そしてそれらの検証をハリウッドのクリーチャー・スーツのプロに依頼して、「着ぐるみ疑惑」についても解明していく。

とにかく、現代のデジタル技術とはすごいもので、別物の映像になる。で、そのおかげでこの被写体についてとんでもないことがわかった。


まず結果から言ってしまうと、この番組においては、このフィルムは「本物」と認定された。
つまり、着ぐるみなどではなく、明らかに人間ではない、「そういう生き物」が撮影されているということが証明されたわけだ。

まず着ぐるみについてだが、スーツ・クリエイターの見解では、毛とその下の筋肉の動きからして、撮影された1967年ならまず確実に不可能とのこと。もし着ぐるみだとしたら、「どうやっているのかわからない」と首をひねる。検証に入る前では「きっと着ぐるみだろうと思います」と懐疑的だったスーツ・クリエイターだったが、検証後に意見が変わってしまった。

身長は2m10cm〜2m30cmと割り出された。この身長は人の平均身長を遙かに上回っており、1億人に一人という割合らしい。
決定的なのが足の骨格で、太ももより膝下のほうが短く、腰と膝や肩の位置関係がまず人間のそれではないこと、またかかとから着地する人間とは違い、足の裏全体をスタンプのようにおろすというのは類人猿の特徴で、これらの動作を再現すること自体が人間には難しい。

実際にモーション・アクターがこの動きを再現できるか特訓するのだが、かなり無理があるようだ。その上に着ぐるみを着て、とまでなると、さらに非現実的となってくる。
要は、人が中に入って演じているならば、解析すれば一発でバレるということだ。


ふーむ。そうなのかあ。
まあ、完全に信じてしまうのもあれだけど、ここまで検証してそうなのなら、ひょっとするとこのパターソン・フィルムは本物なのかもしれないね。

ビッグフットの存在の確実的証拠とはならないが(番組もそう言っている)、すくなくとも1967年10月20日のこの日、パターソンはこういう生き物と接触したと。それは信じていいのかも知れないと。

もしビッグフットのような生き物が、目撃されたようなロッキー山脈帯にいた場合、食べ物の確保とかそういう意味で、生存可能なのか?という問題については、野生動物の専門家によれば、充分可能ということらしい。
クマが生きていける環境なら大丈夫なのだそうだ。

残されている体毛のDNA解析では、その発見された一帯に住む既知の野生動物のどれでもない(もちろんヒトのでもない)と確認されている。
ただ、ヒトや猿(チンパンジー、ゴリラ、オランウータン)に近いDNAだが、それらとも違うらしい。
つまり、現物の個体が発見、確保されないかぎり、特定できないという。

いやー、これらの一連の検証で、ビッグフットの存在が確実になったというわけでは決してないのだけど、夢があっていいじゃないですか!

存在の証拠としては、やはり「骨」が見つかるのが一番いいらしい。そう、骨が見つかってないんだねえ。


ちなみに、パターソン・フィルムに映っているのはメスで、振り返った時にちゃんと乳房も見えています。

毛深い「見返り美人」ってとこですかね。






posted by ORICHALCON at 19:07| Comment(3) | TrackBack(0) | Cinema

2012年10月15日

ゾンビの真実

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ゾンビの真実 The Truth Behind Zombies


あははは。いいねこれ。

Huluにて視聴。

映画ではなく、ドキュメンタリです。

ゾンビを科学的に検証していくというもので、しかも制作はナショナル・ジオグラフィックですwww

科学者や学者、ゾンビ研究家、催眠療法士、疫病の権威などが出てきて、大まじめにゾンビの科学的可能性を語り、検証していきます。


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「ドラえもんのタケコプターは実現可能か?」みたいな、空想科学読本のような感じですかね。
日本で言えば、「ゴジラの存在は科学的にあり得るか」みたいな具合かなw

僕はこのブログでもちょっと触れているように、大のゾンビファンです。
キング・オブ・モンスターといえばゾンビ。
クリーチャーとしてのゾンビの魅力は、なにより「元は人間」ということで、下手すると自分の家族かも知れないという恐怖。この恐怖、他のクリーチャーにはないものです。

ゾンビは現在、世界でもっとも人気のあるモンスターでしょう。
ゲームの世界では特に顕著で、iPhoneのゲームアプリを「Zombie」で検索すれば、数万レベルで出てくる。

クリスマスになると、「サンタクロース vs ゾンビ 」として、世界でどちらがより多くネットで検索キーワードに使われているかを比べたり、世界でどのくらいゾンビ関連の語句が検索されているかを見られるマップがあったりする。

http://walyou.com/zombie-map/

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これを見ると、アジアでは非常に日本が多いのが面白いやね。やはりバイオハザードを生んだ国だからかな?

どれだけ検索されているかというのは問題ではなく、「どれだけ検索されているか」を検証されてしまうところまで来ているキャラクターだということが興味深い。どんなに世界的キャラクターのミッキーマウスでも、ミッキーマウスがどれだけ検索されているかなんてのは、話のネタになったことなどない。

少なくとも、ナショナル・ジオグラフィックがこういうかたちで取り上げるところまで来ているコンテンツだということは、やっぱりちょっと普通じゃないと思うw

ゾンビが他の恐怖性コンテンツ(モンスター、災害的脅威などなど)と比べて、これだけ人々の関心を引く理由は、その特異な特徴にある。

1.人類の滅亡、世界の終焉に直結する
死人に溢れかえった人類の終焉は、隕石衝突のような、あっという間のアルマゲドンのほうがまだましに見えるし、これに比べたらゴジラの脅威なんてまだかわいい。


2.感染によって拡大する
ゾンビに襲われる恐怖というのは、この感染というファクターの影響も大きい。
つまり、自分がゾンビになるかも知れないわけで、それは下手すると単純な死の恐怖を超えている。


3.個体によって個性がある
人間がクリーチャーなので、そのキャラクター性に枠がない。


4.人を食らう
人が人を食すというこのカニバリズムは、人間の根源的タブーであり、人間の尊厳への宣戦布告である。
また、人が人に噛み付く・食べると行為は、人の潜在意識の中で、性的な意味合いにつながっている。


ゾンビという存在の世界的認知は、明らかに映画が育てたものだ。このドキュメンタリでも、「28日後」などを検証の例に用いている。しかし、ゾンビそのものは、本来は映画が生み出したものではない。

ゾンビの語源は、コンゴのアニミズム信仰の神、ンザンビ(ンジャンビ : Nzambi)からきている。
映画におけるゾンビの元ネタは、ハイチのブードゥー教における仮死状態の奴隷伝説のことで、極端な伝承では、死んだ人間を蘇らせ、奴隷化したものを指す。

これを元に、1932年に「ホワイトゾンビ(恐怖城)」という映画が製作される。映画史上初のゾンビだ。
だけどこれは人為的に創りだされた、いわば「フランケンシュタインの人造人間」に近く、劇中でも重要な扱いではない。

現代に通ずるゾンビ像を確定したのは、1968年、ジョージ・A・ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」だ。
この時点で、「人を襲って食らう」と、「噛まれると感染する」という項目が生み出されている。


つまり、ゾンビを科学的に考察する場合、

・ブードゥーなどの伝説における、人為的なゾンビ

と、

・(映画で描かれるような)疫病・症候群としてのゾンビ

の二面が最低でも必要となる。


で、このドキュメンタリはちゃんとその2つの方向から検証しているwwww

しかし、ナショナル・ジオグラフィック制作の名の元に、学者たちが真顔でゾンビを語っている絵は奇妙な感覚に襲われる。
「いや、そんなに真顔じゃなくてもwww」と、なだめたくなってしまうw

ブードゥー教方面から切り込むと、「薬品」や「催眠(暗示)」というかたちで検証されていく。

症候群としての考察では、そういう感染ウィルスの誕生はあり得るかというかたちで検証されていく。

「映画のようなゾンビ」となると、症候群としてのゾンビということになるが、科学者の意見によると、そういうウィルスはまったく不可能ではないらしい。
たとえば狂犬病ウィルスと、インフルエンザのウィルスが交配したなら、近いものになる可能性もあると言っている。

ただ、「28日後」のような、噛まれた瞬間に感染し、即座に発症、ゾンビ化というのは絶対に起こり得ないと断言している。特にゾンビは脳が侵されて、その体のコントロール機能を失うわけだから、バクテリアが細胞間に入って増殖し、脳に達するのにどんなに早くても2日は要するはずだとのこと。

などと、まじめにやってるのが面白いw

ゾンビがぎこちない動きをしているのは、元祖のロメロ観からすると「死体が蘇った」からなのだが、その「死者が蘇る」という部分は無視されている。やはりこれを科学的検証へ持ち込むのは無理があるようだ。
このドキュメンタリによると、ゾンビの動きがぎこちないのは、小脳にダメージを負っているということらしいがw

また、ロスアンゼルスにゾンビが発生した場合について検証するトピックもある。
これについて語るのは、ゾンビ・リサーチ・ソサエティの会員なのだが、彼はいつでもゾンビ・ストームが起きてもいいように準備万端を整えている。
「72時間キット」なる、携帯食料などを詰めたパックを用意し、避難場所まで定めているwwww

で、ロスアンゼルスにゾンビが発生した場合について、あれこれ語るのだが、いいのかよこんなのまじめにやってナショナル・ジオグラフィックw

まあ、いいんじゃないかねw
物足りない感じもあったんですけどね。というのは、観ているこっちの想像を超えた検証や発見がない。
「うんうん、まあそうだろうね」という程度なんですよね。

ただ感心したのは、ハイチへ行って、きちんとブードゥーのボコ(司祭)たちに取材していること。これによって、カルトに見られがちな、ブードゥーのステレオタイプな偏見の払拭に貢献できているとも言える。

ナショナル・ジオグラフィックがゾンビなどという素材をこうして扱うのに驚きだが、ラインナップを見ると結構こういう内容のドキュメンタリを制作しているのに気づいた。UFOだの、幽霊だのってのをやっている。

面白そうなのは、「ビッグフットの証拠」ってやつ。
アメリカからカナダにかけて多数目撃されている、類人猿伝説。
ビッグフットの有名な証拠として、50年前に撮られた映像フィルムがあるのだが、それをコンピュータ解析するらしい。

見てみよっかな〜ん。




posted by ORICHALCON at 21:13| Comment(1) | TrackBack(0) | Cinema

2012年10月14日

スミス都へ行く

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スミス都へ行く (Mr. Smith Goes to Washington)

監督 : フランク・キャプラ
出演 : ジェームス・スチュアート ジーン・アーサー クロード・レインズ エドワード・アーノルド トーマス・ミッチェル ハリー・ケリー

129分


Huluにて視聴。

サムネイルは販促用として着色されているが、もちろん作品はモノクロです。

大好きなジェームス・スチュアート主演。そして、なによりフランク・キャプラ作品です。1939年製作。


ある州(作中では特定されていない)で、上院議員が病死したため、州議会の裏側では候補探しに慌てる。というのも、州選出議員であるペインと、州を牛耳る資本家のテイラーは癒着しており、州におけるダム建設法案とその利権を守るため、子飼いにできる敵対しない候補が見当たらないためだ。そこでボーイスカウトの団長である青年、ジェフ・スミスを指名することになる。いきなり上院議員になってしまったジェフだが、さっそくワシントンへ登り、全国の少年たちのためのキャンプ場建設の法案づくりに燃える。しかしそのジェフの挙げる建設候補地が、テイラーたちの目論むダム建設予定地だったため、ジェフを毒にも薬にもならないと踏んでいたペインたちはまたも慌てることになる。
ペインとテイラーは、ジェフに汚職の容疑を着せ、総力を挙げて潰しにかかる。


オスカー11部門ノミネート。ジェームス・スチュアートはニューヨーク映画批評家協会賞にて男優賞受賞。

やべえ。すげえ面白かった。

ジェームス・スチュアートはやっぱりいいですね。惚れますね、まじで。
この、なんだろう、こういう俳優は他にいませんね。そういう意味では、ジェームス・スチュアート出演の作品はリメイク不可能ですね。

ジェフは意気揚々とワシントンへ出向くわけで、まさに「都へ行く」なのだが、いきなり都会のマスコミの手痛い洗礼を受ける。それに腹を立てたジェフは記者たちにつかみかかるが、もうこの時点で政治家としては失格路線へ傾いている。
ジェフは実直で正直者で愛国者で、超がつくほどのお人好しだ。愛すべき人物なのだが、そんな彼がなにか機転をきかせて困難を切り抜けるなどという期待はすべて裏切られる。政界に生きる人間ではないのだ。

そんなジェフをサポートする重要なキャラクターがいる。ジーン・アーサー演じる秘書のサンダースだ。
サンダースは、キレ者のキャリアウーマンで、なぜジェフが議員に指名されたのか、その大人の事情のからくりさえも悟っている。そして田舎者の、政治に疎いジェフの秘書にあてがわれたことを呪っている。
サンダースはジェフの子守役に抵抗を感じ、辞職するとまで言い出すのだが(そして、本当に一度辞職する)、いつしかジェフの熱意に引かれて、結局ジェフのためのリーサル・ウェポンへと変容する。


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実はこの作品、俳優のクレジットとしてはこのジーン・アーサーが先頭になっているくらいで、このサンダースというキャラクターが非常に面白い。
サンダースの辞職理由の本質は、単純にジェフやその子守に嫌気がさしたというのではなく、純粋なジェフが政治の世界で傷つく姿を見たくないというのがそれだ。
しかし、彼女は帰ってきて、ジェフに燃料投下をする。

巨悪に勝てるわけがないと消沈しているジェフに対するサンダースの印象的なセリフに、「そんなことより、信じるならもっと大きいもの信じなさい(you had faith in something bigger than that.)」というのがある。

なんだろう、こうしてレビューを書いていて、様々なシーンを思い返す度にちょっと目頭が熱くなってしまうのは。
とてもシンプルな作品で、単純なストーリーなのだが、やはり人が目的を持って必死に闘う姿や、何かを信じて行動する様の魅力というのは、理屈の世界ではないのだな。

この作品の戦いは、資本主義と民主主義の摩擦 という構図でもあり、大義が人間を(敵をも)を動かす、というアメリカらしい内容となっている。


フランク・キャプラといえば、「或る夜の出来事」「群衆」、そしてなにはなくとも「素晴らしき哉、人生!」だろう。
のちの「素晴らしき哉、人生!」で活躍する俳優が何人か、この作品に顔を出している。

アメリカ映画協会の「感動の映画ベスト100」の1位に君臨する作品だが、5位にこの「スミス都へ行く」が入っている。
フランク・キャプラ作品がアメリカ人に支持されるのは、やはり実に「アメリカ臭い」からだろう。

だけど、「素晴らしき哉、人生!」は、普遍的な、人類の根源的なテーマを扱ってる。「タイタニック」のテーマをとっくの昔にやっちゃってる。それだけに、パブリックドメインということもあって、これはもうアメリカ人だけの財産ではないと言いたいw
僕にとっても10本指に入る作品だ。

「素晴らしき哉、人生!」は、フランク・キャプラが自身の集大成を賭けた作品だった。
そして「スミス都へ行く」は、その遺伝子形成を垣間見せてくれる。

もし両方とも未見の方がいましたら、ぜひ死ぬ前に押さえておくべきですよ。






posted by ORICHALCON at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema

2012年10月11日

0:34 レイジ34フン

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0:34 レイジ34フン

監督・脚本 : クリストファー・スミス
出演 : フランカ・ポテンテ ポール・ラットレイ ケリー・スコット ケン・キャンベル ショーン・ハリス

85分

いっこまえの「ミッドナイ・ミート・トレイン」のエントリのつづきのような感じとなりました。
「ミッドナイト・ミート・トレイン」が物足りなかったので、口直しのつもりでHuluのラインナップから見つけた一本。
同じ地下鉄を舞台としています。

原題は「Creep」。
このなんともひねりのない、ホラーとしては直球すぎるタイトルw

ホラーというのは日本公開において、もっとも「邦題にすりかえられる」率の高いジャンルとも言えます。
で、輸入ホラーを楽しむ要素のひとつとして、原題を知っておくのも結構良かったりすん時もあんのね。

邦題がつけられるというのは、これは日本の配給が「この原題では人が入らん」と判断しているわけで、つまりは「人を入れよう」という思いで邦題をひねり出す。
しかし、ヒットしたり、名作と謳われるホラー&スプラッタってのは、案外原題のままか、直訳だったりすることが多い。

< 原題まま >
チャイルドプレイ
ペットセメタリー
ヘルレイザー
キャリー
オーメン
エクソシスト
サスペリア
デモンズ
ソウ


< 直訳系 >
A Nightmare on Elm Street → エルム街の悪夢
Friday the 13th → 13日の金曜日
(もっとあるだろうが、めんどくさくなってきた)


原題ままの場合は、心霊系が結構多い。心霊系というのは、タイトルも作品の概念を表そうとするからかも知れない。
まるっきり邦題がちがうものになりやすいのは、スプラッタ系。

「悪魔の◯◯」とか「死霊の◯◯」とかね。

「悪魔のいけにえ」はThe Texas Chain Saw Massacreだ。「テキサス電ノコ大虐殺」?

つまり心霊系は概念や観念を表すために名詞になりやすいから、そのままでいける確率が高くなる傾向であるのに対し、スプラッタは事象を説明する形容句風になりやすいがために、「もうちょっとわかりやすくしようか」となるのかもしんないね。

原題からかけはなれた上での、邦題の傑作はやっぱ「バタリアン」かな〜。
原題は「Return of the living dead」(帰ってきた生きる屍)なのだが、これは確かに日本じゃそのまま出せないでしょう。

Battalionは、大隊・大部隊という意味で、複数形のBattalionsで大群という意味になる。
作品に照らしあわせても、なかなかいいじゃないですかw


さておき、今回の「Creep」ですが、確かにこれじゃあ、日本ではまずいと判断されますな。(原題としても微妙ですしね・・・)
で、「0:34 レイジ34フン」というわけで、これはなかなか意味深ですが、単に主人公が乗りそこなった地下鉄最終を指す。


イギリス・ドイツ合作で、舞台はロンドン、主人公のケイトをドイツの女優、ボーン・シリーズでお馴染みのフランカ・ポテンテが演じています。


地下鉄の駅のベンチで寝過ごして最終に乗り遅れたケイトは、営業の終了した駅に閉じ込められていることに気づく。途方に暮れているところへ、列車がホームへ入ってきた。ケイトは飛び乗るが、突然列車が急停止して・・・・


どうしてもホラーというのは、上のようなあらすじ説明になってしまうね。「それが悪夢のはじまりだった・・・・」とかね。

同じく地下鉄を舞台とした「ミッドナイト・ミート・トレイン」は、NYの地下鉄(撮影はロスらしいが)で、いかにもこう殺伐とした掃き溜めのような絵で撮られているのに対し、この作品はヨーロッパらしい、清潔感のある地下鉄。照明も明るいし、ホワイト基調で統一された車内と、パステルカラーの座席。

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対比的だが、「0:34 レイジ34フン」はこの清潔感ある世界が徐々に吐き気を催すような領域に変貌していくというのがなかなか良い。

「ミッドナイト・ミート・トレイン」のレビューで、観客とキャラクターを合致していくのが大事と言ったけども、それは簡単に言えば「感情移入」なわけで、キャラクターの行動や心理に説得力があるかが、こういった生死にかかわるストーリーには重要だ。

ケイトはそれなりに個性的な部分もあり、女性としては決して普遍的とは言えないが、一人の都会人としては充分リアルで、誰もが共感できる考えと反応をする。

この、清潔感のある世界と、誰もが身に覚えのある感覚を表現する女性は「日常」の象徴で、それが「非日常」へと変化することによって恐怖を描くというのもホラーのセオリー。

そういう意味ではとても古典的なのだけど、こういうのはセンスのいい監督がやると、充分怖がらせてくれる。

で、正直、やっぱ怖かったw


やはり「想像力」を使わせられるというのはいいね。
そう、特に前半はダイレクトに見せずに想像力だけで怖がらせてくれる。
かといってもったいぶってるわけではなく、単に主人公の視点にいるからなわけだけども。
ただ、この「主人公の視点」というのをもっと徹底したら、この作品はもっと極上のものになっていたと思う。

残念ながら、主人公が知り得ない視点にいくつか飛ぶところがあって、こういうのを我慢できるかできないかで作品というのは大化けする。

視点をできるだけ(たとえばキャラクターに)固定するというのは、観客の感覚に訴えるのに非常に効果的だ。
問題は、観客がその視点からはずれた時で、たとえば前出の「ミッドナイト・ミート・トレイン」は、「警察に行けばいいのに」とか一瞬でも思った時、すでに離れている。
ホラーだのスプラッタだのってのは観客の感覚に訴えてなんぼで、「頭」を使ったり「思考」しはじめたら成功からすでに遠ざかってる。

映画は技法として視点を自由に飛び交うことができるので、つい、いろいろとやりたくなるがゆえ、この「視点を固定する」というのは作家側(脚本家だろうが監督だろうが)に相当な自制心がいるw
しかし、これを武器として体得すると、シーンや作品をとてもシンプルかつ美しく仕上げる手段を得たに等しくなる。

ホラーではないけど、スピルバーグの「未知との遭遇」で、旅客機がUFOとニアミスするというシークエンスがある。
最近の娯楽大作なら、このシーンをCGも駆使して迫力たっぷりに見せてくれるだろう。

しかし、「未知との遭遇」では、この事象をインディアナポリス空港の管制室のみで描く。有名なシーンである。
旅客機からの無線報告と、レーダーに映る輝点、そしてその報告に耳をすまし、レーダーをみつめる管制官たちの表情だけでやってのける。

↓そのシーン
http://youtu.be/PKUGi0XtsvQ?t=7m38s


ずいぶんと予算のかからない方法を取ったものだが、これがかえって見る者の感覚になんとも言えない臨場感を与えてくる。

最後の管制官の「AE-31便、U-F-Oとして報告するか?」との問いに、無線は無言になる。
さらに問う管制官。「AE-31便、U-F-Oとして報告するか?」。

迷っているパイロットの顔は必要なく、これだけで充分だ。

しかし、パイロットの顔にカメラを飛ばしてしまう映画というのがある。
それが悪いとは言わないけど、少なくともこのシーンは管制室という視点にとどまることによって、かえって観客をひきこむことに成功している。
そう、観客の感覚と想像力に訴えかけているからだ。


「0:34 レイジ34フン」は前半、ずっとケイトの視点で進行する。
他にあるとすれば、ときたま「ケイトを監視する不審者の視点」ともとれるカメラワークがあるのだが、これはいいとしよう。
ケイトの乗った列車が不穏な停止をした時、ケイトは最前列の運転室まで行って、運転室のドアを叩く。が、反応がない。

ここでカメラは切り替わって、運転室になる。惨殺されている運転士・・・・という絵だ。もちろん、それはケイトには見えていない。

これで観客は「わぁ・・・どうなるんだろう」と思うのだろうけど、ここで視点が飛んだことによって、観客の中にはケイトから一歩離れるという化学反応が必ず起きている。

これはもったいなかったと思っている。余計なお世話なのはわかっているけども、これを徹底していったら、もっと忘れられない作品になっていたと個人的には感じる。


黒澤明の「天国と地獄」では、誘拐の電話が入ってからは、権藤邸から一歩も出ない。それこそ、居間から視点が動かない。
だから観客は誘拐犯の電話に耳をすます。これは、そこに居合わせるキャラクターたちと共有する体験だ。

ここに、誘拐犯である竹内の絵はいらないことは誰にでもわかるが、ここでそれをやってしまう映画というのがあるわけだ。
竹内の絵が入った瞬間、観客は第三者目線になってしまう。

特にホラーの肝は「視点」であって、良質なホラーは観客を第三者へ置かない。


ただし、この「0:34 レイジ34フン」はほんとに最後の最後、ラストカットのケイトのアップで、とんでもない演出をやってみせる。
これで僕的にはチャラな気がしたw
こういうのもあってもいいかも知れないw

ホラーというのは救いようのないラストが多いが、このブラックでアイロニーかつ、ニヤっとしてまうラストはなかなか。

頭から最後までスタイリッシュで、まさに"都会のホラー"でした。

いろいろ言いたいことも書いてしまいましたが、秋の夜長に一人で観るには、充分な作品でしたよ。




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