2008年06月10日

こいつさえあれば

あとはなんにもいらねぇっ!
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2008年06月07日

ゆらゆらswiming(byウィンク)

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水棲の生物が好きなのだけど・・・見ていてずっと飽きません。

水族館大好き。
行きたいな〜( ̄▽ ̄)
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2008年02月13日

ORICHALCON

オリハルコンってなんですか? と聞かれました。

プラトンの書物などに出てくる、アトランティスにあったとされる合金のことなんですね。
学術的にはその存在を「架空のもの」とされているか、青銅のようなものと捉えられています。

RPGゲームやSF、アニメなどにもよく登場するようです。ラビュタの天空石のモデルとも言われています。

綴りはいろいろあり、うちの「ORICHALCON」は、和製に近い記述です。もともとはギリシア語とかですので、そのままでは「オリハルコン」とは読みにくいものもあり、(oreichalkonなどが語源です)取捨選択でこの綴りを採用しました。

そう、単に「オリハルコン」という音の響きが気に入っただけで使っているので、できるだけそう読みやすいものにしたわけです。

そもそもアトランティス大陸が存在していたかどうかもアレなのに、そこに存在したとされるわけですから、怪しいものですね。

まあ、なんでもよかったわけです、僕はw



posted by ORICHALCON at 23:25| Comment(3) | TrackBack(0) | なんとなく

2008年02月03日

女性ホルモン

ホルモン焼きはいいですね。おいしい。

さて、学術的にほんとかどうかはわかりませんが、この時期、3月ぐらいにかけて女性諸君の女性ホルモンのバランスが崩れやすいピークを迎えるのだそうです。

イライラしがちだったり、ナーバスになったりするらすぃ〜。

うん、それが正しい説かどうかなんてのはどうでもよく、ただこのセンテンスが僕ら男性に対してもたらしてくれる恩恵的視点は、

「ふむ・・・そうか。そうだよな、女性って女性ホルモンの影響をかなり受けてるんだもんなあ。なるほどなるほど」

というもの。

こういうことに気付いてあげられているかどうかで、いろいろ違うのでわないかと。
この、「女性と男性は性質が異なる」という視点を持てれば、男女間における小さい問題などは、一発で解決してしまう気がするし、僕ら男性もちょっとは優しくなれそうな気がしてくるのは僕だけだろかしら?w

そういえば今年に入ってから、あのコもこのコもみんなイライラしてる。

僕は彼女らの彼氏などではないから、ナニがどう、ということもないのだけど、彼女たちの彼氏くんたちは何かと手を焼いているかも知れぬ。
ちょっとしたことで爆発したり、ふくれてヘソを曲げたりする彼女たちに、「なんだ、こんな女だったのか」とか、「大人じゃない」とか「わがままになった」とか「世話の焼ける女だ」とか・・・「男を理解していない」とか。いろいろと早まった「誤解」に近い思いを抱いてしまうかも知れない。

僕にも経験がある。

例えは違うかも知れないけど、こんなエピソードを読んだことがある。アメリカ人の著作物で、本人の体験談。要約して書きます。

朝、地下鉄に乗った。
静かでいい時間だったのだが、ある駅から小さな子連れの若い男性が乗り込んできた。すると空気がいっぺんに変わってしまった。
子供達は二人兄弟で、乗り込むなり落ち着きがなく、あたりを走ったり、他の乗客たちの体や新聞などにぶつかったりしている。
父親と思える男性は、注意をするどころか、なんの関心もないようにただ、ただずんでいるのだ。
そこで本の著者は、彼のそばまで行って、注意した。
「もし。さしでがましいようですが、ちょっとあなたのお子さんたち、騒がしすぎじゃございませんか?」
すると男性は、その声にやっと反応できたかのように、うつろに子供たちを眺め、
「本当だ・・・すみません・・・しかし私は今、どうしたらいいのかわからないのです。今、病院からの帰りなんですが、妻が亡くなったばかりなのです。子供たちはまだ小さいのでわかっていないものと思っていましたが、あの様子だと、やはりどこかで感じ取っているようだ・・・・どうしたものか・・・」

著者は、言葉を失ってしまったそうです。

これは特異な例でしょうけど、人間関係の問題を溶かす上で、「理解」というものほど強力な魔力はないでしょう。
相手を理解しようとしない態度の究極的行為のひとつに、戦争というものがあります。

大事なのは理解しているかどうかよりも先に、「理解しようとする」姿勢が、僕らを元気づけてくれる気がするのだなあ。

「この時期、女性は女性ホルモンのバランスが崩れやすい」・・・・なんて素晴らしい救世主なんだ!www

もう、死ぬほどいたわってやりたい衝動に駆られ、なんでも許せてしまい、愛の言葉を連発銃のように浴びせ、激しくイイコイイコしたくなりはしませんか! 男性諸君!

ん? 現実は厳しいって??・・・・そうだよな・・・

K-1とかテレビで観てて、

「いつまで一人で観てんのよぉ!」

とかいきなりどなられたりすると、やっぱりパニクるよねwww


男性ホルモンが崩れやすい時期ってないのかしら・・・・(-.-;)




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2008年02月01日

カニッツァの三角形

tetra.jpg大した話ではないのだけど、この「オリハルコン」のテーマシンボルに使用されているヘンなマーク。
これは「カニッツァの三角形」と呼ばれてまして、要は錯視図なんですね。よく見ると、描かれていないはずの正三角形が中心に見えてきます。どうでしょう?

「見えないはずのもの」が「見えて」くる。存在しないものが見えてしまう。これは人間の脳が、コンピュータなどとは違う奧行きを持っている証拠ではないでしょうか。

これを僕がシンボルに組み込んでいるのは、「目で見える次元を越えたもの」を創り出したい、提供したい・・・もしくは共有していきたい、という願望の現れでござります。

現在書いている「流線型ピストル」も、この「視覚を越えたところで物事を感じ取っていく」という領域がサブ・プロットになっていて、さらにそれを「他人を通して感じ取る」となり、さらにさらに、それが「愛する者を通して感じ取りたい」というとこまで伸びていくお話です。

人間の視覚ほどあいまいなものはなく、簡単にだませてしまう器官なのですが、それでも我々はそのセンサーに頼りに頼って生きている。視覚で感知できないモノなど、かまってられないというくらい、視覚によって生活は支えられています。
時計に信号機、携帯メール、テレビ、毎朝のぞく鏡、目の前に迫ってくる地下鉄への階段、あなたを手術する外科医、好きなあの人・・・・
視覚は便利ですが、そのあいまいさに気付いていないと、ちょっとしたすれ違いも起こります。たとえば、視覚は「他人と共有されている」という合意が誰の中にもあります。

「あのバラは赤い」と言った時、誰もが「そうだ」と同意してくれるものだと、みんな思っています。
自分にこう見えているのだから、みんなにもそう見えるはずだ、という確信があります。

光の反射を網膜が受け取ったレベルであれば、視力や色弱などの誤差をのぞけば、ほとんどが間違いなく共有されているのですが、今度はその受け取った光情報をどう脳が(精神・心が)咀嚼して飲み込むかは個人によってかなり変わってきます。
これは誰でも「そうだね」と同意できるものでしょう。
「君はこの絵が好きだようだけど、僕は好きくないなあ」とかね。
空を飛ぶ戦闘機を見て、「勇ましくて、カッコよく」見える人もいれば、「殺人兵器」に見える人もいるわけで。

うーん、というか、この話は突き詰めていくとどこまで書けてしまうので(というか、この時点がかなり書いているがw) 一旦網膜が光を受け取ったとこにまで、ちょっと話を戻しましょう。

この我々の住む三次元の世界は、光の反射によって構築され、我々の目に届きます。
その光とはまあ、主に太陽から発せられているのですが、この中にいろいろな波長があり、その波長たちがそろって見えてしまう現象が、「虹」ですね。赤いポストというのは、赤い波長を反射する物質であるということで、その物質が赤いわけではありません。意味わかるかしら?www
つまり光(波長)がないのであれば、その世界には色は存在しない、という究極論。
車を青く塗る、ということは、青で塗っているのではなく、青の波長を反射する物質を塗っているにすぎない。
ということは、その反射を受け取る網膜に色盲などの障害が生じると、青も青でなくなる。青波長を緑波長と認識するのであれば、その人にとっては「緑」なわけです。

そしてこれを一体誰が、本気で「間違いだ」と言えるのだろうか? と、僕はくだらない疑問を感じる時があります。

世界の45億人が「青」と認識しているのに、たった一人が「緑」と認識したしても、45億人の方が間違ってるかもしんないじゃんね?www
というか、その45億人の青が、全部正しいと証明するのすら難しい。「君の見ている青と、僕の見ている青は一緒だ」と、どこで判断できるのだろう? 絵の具を並べて、「青を取りなさい」とやったら、45億人がみんな同じチューブを取る・・・・というレベルでしか、確認とれない。ナイアガラの滝を観光してきた人が、友人の描いたナイアガラの滝の絵を見て、「うんうん、そうそう。こうだった。君も同じに見えていたんだね」という感じかしらね。

それはナイアガラの滝の色が「青い」ということの証明ではなく、「君と僕」は青波長を同じ具合に認識している、という証明に過ぎない。たとえ、そこへきて科学者が「うん、この滝の成分はとてもよく青波長を反射しています」と報告してみせたとしても、あまり意味がない。なぜなら、僕らはみんな、「その滝がほんとに青いのか」なんてことはどうでもいいからだ。自分にどう見えているかが、事実なんだもの〜。
この波長の受け取り方を「確固たる人類共通の事実」とするか、「あやうい同意の上で成り立っている事実」とするか、それは様々だろうけど、なんでかしら僕は、後者の感じがするのだなあ。

え、なに? 考えすぎ? ひねくれてる? インテリぶるなって??www

ぬはっwww

じゃあ、カニッツァの三角形の中心の三角形、あなたにも見えているとは思うけど、それが事実であり、存在している、知覚できていると他人に証明できるのか〜〜〜〜〜あ。
でなきゃ、聴覚はどうなのよ? 誰かアメリカ人に、ニワトリは「クックドゥドゥルドゥー」とは鳴いていないことを証明し、「コケコッコー」であると説得できる日本人はおるのか〜〜〜〜〜あ。

はあ〜、今日も書いた書いた〜  なんてまとまりのないエントリなんだ、今日も。

フリスク切れたから寝るね☆
posted by ORICHALCON at 23:39| Comment(4) | TrackBack(0) | なんとなく