2012年07月25日

死刑制度の難しさ

おはようございます。
最近起きるの早いです。


昨夜、Yahooにアクセスしてみたら、なにかある事件の上告審判決で、死刑確定という記事に目が止まった。
その記事を見てみると、さらにその下に関連記事としてやはり死刑確定判決の記事のトピックが並ぶ。結構あるもんなんだなあと。

で、ビートたけしさんがちょうどこんなことを発言したらしい。


記事 : ビートたけし無差別殺傷事件を語る 死刑=最高刑はもう古い


死刑制度は今も昔も、議論の対象だ。難しいねえこれ。
なんで難しいかっていうと、賛成派も反対派も、どっちの言い分もそれぞれいちいち正しいからなんですけどねw

たけしさんが言うように、「死にたいから(死刑にしてもらいたいから)無差別殺人を犯す」なんてのも出てきちゃった。

こういうのも、死刑制度反対派にとって重要なファクターになるでしょう。



僕は死刑制度についてどういう立場でいるかというと、非常にずるくて、「司法にただ従う」というものです。制度に従うわけです。

それはつまり、国家がそう定めているのであれば、「支持する」という立場です。ましてや、昨日今日定められたものじゃありませんし。

もし司法が死刑制度を廃止したならば、その意志に従います。

ですから、現在のところ、死刑制度に対して反対でもなんでもありません。



しかし、廃止すべきである、反対すべきであるという立場の人たちからはこれでも、ずいぶん叩かれます。
まあ、結果的に支持しているのと変わらないからですが。



で、そこで僕がそういう人達になにか言われたら、こういうスタンスをとっています。理解されるとはかぎらないのですがね。



僕にとって、刑法(司法)というのは、適用・執行される以前に、定められた瞬間からその国家の意志・姿勢の宣言でもあるということで、死刑については、「人権に対するその国家の姿勢」の在り方の象徴でもあると認識している。

宗教が政治に影響を与えている国などでは、戒律を破ることじたいが犯罪であったりし、麻薬持ってたり不倫しただけで翌日死刑、なんてのもある。
そしてそういう倫理観は、国によっていろいろと異なる。

日本では、死刑が適用される犯罪は、外患誘致など特殊なものをのぞけば、それは「確定的殺意の伴った殺人(特に複数殺人)」とされている。

ということで、司法は「確定的殺意による殺人」は「最もたる人権の剥奪行為」と見なしている、と僕は認識する。


「確定的殺意による殺人」というのは、「カッとなって刺し殺しちゃった(未必の殺意)」とかではなく、事前に包丁用意してアリバイ作りまでして殺しに行くとか、さらには死体を埋めるためにビニールシートにスコップまで用意してるとか、強盗に入って顔見られたから殺すとか、もしくは殺す前提で強盗に入るとか、果てはゴルゴ13みたいな職業的殺人もそうだ。そして被害者が複数という・・・。

こういうのは「マジありえない」としているのが日本の刑法なわけでしょう。

そこで、その「最もたる人権の剥奪行為」に対しては、「その行為者のいかなる人権も一切認めない」という姿勢になっているわけで、その現れが単に、「死刑」(一切の人権を剥奪することによって処断する)になっているというだけのこと。

つまり、単に日本国家は「確定的殺意を伴った殺人」、これを一切認めないという、強い否定を表している国家であるということであり、国民の生命と人権を守ることに対する考え方が事前にここに提示されている。
それはどの国もそうだと思うが、それを司法上でどのように定めるかによって体現されているか、というだけの問題。


しかし死刑そのものが殺人であり、最悪の人権侵害ではないか、という話にもなるのだけど、「いかなる人権も一切認めず、一切の剥奪をもって処断とする」ことがつまり「死」(生存権という根源的人権を剥奪すること)であるという認識であるかぎり、やはり「確定的殺意の殺人は最もたる人権剥奪行為と見なす」ということにもつながるわけで、矛盾がない。輪になっている。

ある意味、フェアすぎるとも言える。まさに弁護士のバッジに描かれている天秤状態です。

このドライとも呼べる、静かなほどに均整のとれたバランスの姿に、人権剥奪行為に対する日本国家の強固な姿勢を見るのは僕だけなんでしょうか。
僕だけ? あ、そうか。


まあ、さておき、たとえば、すでにヨーロッパをはじめ、世界各国は死刑制度廃止が進んでおり、死刑制度が残っている国の方が少ないという話も出てきたり、また、人権が軽んじられる傾向のある国ほど死刑執行が盛ん(中国など)という認識などから、日本は遅れている、みたいな展開にまでなる。

しかし「遅れている」「進んでる」などという、そういうくくりで死刑制度を考えるのは甘いのではと。人間の次に頭のいい動物であるイルカを食べるべきではないということに行き着いている倫理観は、より進んでいる、というようなレベルに感じます。
それにいくらなんでも日本で、役所の金を使い込んだだけで死刑になるということも絶対にない。

何度も言うように、単に、犯罪者以前に、国民の生命と人権を守ることに強い宣言がなされているにすぎないわけでして。だから、死刑が執行されること(犯罪者を殺すこと)を前提としているわけでもなく、むしろ、それが起こるそもそもの行いをこれ以上ないかたちで強く否定している。(ま、これは言いすぎかもね?)
しかし反対派というのは、この犯罪者が殺されることが先にきちゃっているわけで、そういう意味では、この僕の考えとは咬み合わないだろう。

「だって実際に人間(受刑者)が殺されるという殺人が国家の名の下に行われてるわけです。これは許されません」ということなのですが、これがどんなに許されない行為かということがもう、すでに宣言されている上でのことだから、僕としては仕方のない事です。


まあ、とにかく、そういうわけで、司法(国家)が現在、そのような姿勢であるのなら、それはそれで支持するというのが僕のスタンスなのであります。

たとえば、もし外国人から「なぜ日本はまだ死刑制度など残っているのか」と聞かれたら、単純に言えば「日本国家は意図的による生存権剥奪行為、これを事前に一切認めないと強く定めているだけです」と答えることになります。

「しかし、死刑を廃止したところで、その生存権剥奪行為への拒否が緩まるというわけではない」という言い分もあるでしょう。そのとおりです。

もしこれが、「生存権剥奪は許されない行為であり、これに対ししかるべき処断はあっても、国家がいかなる理由にせよ、一個人の生存権までを奪うことは一切これを許させない」という認識へと国家が変われば、これこそ死刑廃止ということになります。

こうなったら、それはそれで素晴らしいんじゃないんでしょうか!



ただ、刑法は、本来は犯罪の抑制や防止を主な意図として定められているわけではないので、よく聞く「死刑制度が凶悪殺人の抑止にはつながらない」という批判には同意できないのです。それはよくても江戸時代にやるレベルの議論であり、刑罰の度合いによって犯罪を抑制できるできないといった議論自体が、それこそ「遅れてる」んじゃないんでしょうか。

たけしさんのコラムは(まあ、これは一部抜粋のようですが)、死刑じゃもう手ぬるいという話にも取れるわけですが、「ならどういう罰を与えるべきか」という次元になってしまってるわけで、いわば「犯罪者に対する取り扱い」の話です。
僕が話しているのは、「人権侵害に対する国家の倫理観」の話です。
そして、日本の姿勢は大変厳しいということ。厳しいどころか、完全否定です。

それによって定められている刑法にのっとって、判決が下ったのであれば、それは執行されなければならないとも思います。


さて、ではたけしさんのコラムにある、「死刑になることを求めて人を殺す」という問題。

これを見誤ってはいけないのは、死刑制度が犯罪を起こさせたわけではなく、死刑制度が単に利用されたにすぎません。
「でも、その利用される死刑制度にも問題があるでしょう」という意見も出てくるわけですが、本当の問題は年間3万人にものぼる自殺志願者が発生していることです。「死刑制度が利用されるという異常事態」にもっと目を向けなければ、いつまでたってもらちがあきません。
この自殺者急増について、「これじゃあ、また宅間守みたいの出てくるよ」とたけしさんは警鐘を鳴らしてて、実際に心斎橋事件が起きて「それみたことか」になっちゃった。

「だったら死刑制度を廃止しよう」と廃止論再燃とか、たけしさんのように「殺さずに生き地獄にしたらいいのかも」というのでは、問題解決になっていません。


自殺志願者については、死刑制度に負けないくらい難しい問題ですし、特に欝のように「意味もなく死にたくなる」などというレベルになると、我々もお手上げです。

しかし、手を上げていてもしょうがないので、いろいろと目を向けてみて思うのは、多くの自殺志願者に横たわる共通の特徴に、「価値観の崩壊・低下」が見られます。


日本人は、「共通の価値観」についてはとても強固な民族で、ひっくりかえして言えば「価値観の共有」が得意なわけです。東北大震災に襲われた中でも、配給や公衆電話に規律よく並ぶ姿などは、世界中がびっくりしました。この時みんなが好き勝手やってしまったとしたら、それは「個」の価値観の主張の衝突ということになります。
そういうことにならず、「空気を読む」とか、「協調性」を保つとか、これらはどんなところにどんな価値観を共有しあえるかが鍵となります。

しかし、保たれている全体性の価値観とは違う、「個」の価値観は、どうでしょうか。それらが崩壊、もしくは、低下、または行きどころを失っている時代なのかも知れません。


女子高生が自ら援助交際に走る、なんてのはこれ、なかなか今もなくならないそうですが、これは典型的な価値観の崩壊、低下です。
昔は売春なんてのは食うに困ってだったのが、現代はお小遣い欲しさで、果ては「エッチできてお金ももらえてラッキー」とまで言わせます。

これはどこに価値が置かれているかという、価値観の視点の変移の問題であって、しかもこれの怖いところは「個人的存在」による価値観ではなく、先に述べた「共有的価値観」というレベルで拡大していることです。要は「あのコもこのコもやっているし」的な共有性で、つまり、「個人的価値観」が鍛えられておらず、育成されていないがゆえ、共有的価値観に頼って支えられ、確立され、侵食されているということ。
いじめ行為の問題点は、崩壊、もしくは低下したと言える価値観が、共有によって支えられているというのもひとつです。

「自分に対する価値観」、「人間に対する価値観」、「生きることに対する価値観」、「命に対する価値観」、「人生に対する価値観」、「愛に対する価値観」、「家族に対する価値観」、「人間関係に対する価値観」、「仕事に対する価値観」、「世界に対する価値観」・・・・ありとあらゆるものがあるわけですが、これらが崩壊、低下することが、人間に起きる問題の根源的原因です。
「何に価値を見出すか」ということが、人間の心の豊かさにつながるというのは、ここで僕が力説しなくても誰でもわかることです。

僕は、教育の真髄とは、この価値観を問いただし、見つけ出させていくということだと考えています。
自分で見つけた価値観はその人間のものであり、それが個人的存在の価値観となって、その人間を支えていきます。教育とは、人間にどういう価値観を掴み取らせるかという勝負の世界であり、教師と生徒の関係というのは、一個人の価値観と、価値観を模索している人間とのぶつかりあいであり、どんな化学変化を起こせるか?という領域です。

人間の営みというのは、価値観の宣言とさえ言っていいでしょう。

個々の人間の価値観が育成されない、または確立されない、もしくは崩壊や低下を招くならば、それは自殺者も増えていくでしょう。自殺は価値観消失による最悪たる結果です。何にも価値が見いだせてないようなものですから。



まあ、僕もこんなところでこんなことを書いていたって、なにも解決はしないのですがね。


死刑制度の論議についても、結局は価値観の相違による議論です。ですから、こんなに難しい問題もありませんよね。






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2011年05月09日

アメリカのビン・ラディン襲撃は正しかったか

そもそも、軍事作戦に「正しい」も「正しくない」もなく、ある視点からは正しく、ある視点からは正しくないものだったりしますが、今回の作戦は、「いきなり殺しちゃった」という点で物議をかもしています。

ハナから「殺害するため」の作戦であり、拘束とか逮捕などは考えてなかったという点で、「それはいかがなものか」と、民主党の福島瑞穂議員も「裁判にかけるべきであった。事実を世界中が知りたがっていたはずだ」というような旨の発言をしてたりする。

この「事実」というのは、もしかしたらあの「9・11」の真相うんぬんにまで及ぶ話なのかも知れない。
ご存知の人もいるかと思いますが、あの事件にはいろいろと疑惑があって、中にはアメリカの自作自演による「イラク進攻の理由づくり」みたいなのまである。
この「9・11」の疑惑材料までからめていたら話が終わらないので、少なくともここではアメリカ政府の「ビン・ラディン主導によるテロである」という見解を支持したとして、話をすすめよう。実はビン・ラディンはシロで、アメリカは彼を利用して、口封じに斬り捨て御免したんだ、なんて話まで混ぜてるともう、収拾がつかんからな・・・・その点、ご了承いただきたい。


まず結論からいうと、アメリカのやり方は正しい。正しい、というのも変だが、言い換えれば「当然」ということ。


アメリカがビン・ラディンをとっつかまえて裁判にかけるつもりなど微塵もなかったとしたら、それは当たり前の話で、これは「テロ」というもののメカニズムと、「対テロ戦争」というものがどういうものかを理解していれば、ある程度納得出来るものだ。

テロをいわば国際的な刑事事件・犯罪ととらえるか、戦争ととらえるか、という問題の場合、これは「戦争」として扱うのが理想といえる。
「戦争とは大げさな」という人もいるかも知れないけど、テロ行為を犯罪、テロリストを犯罪者として扱うことは、テロリストの思うつぼなのだ。彼らに裁判を受ける権利を与える時点で、半分負けているに等しく、テロによる犠牲者も減らせない。

だからアメリカはビン・ラディンに対してはすべて軍事行動であって、つまりこの事象の取り扱いを「戦争」と定義付けようと必死だったわけだ。

テロリストというと、AK-47や手榴弾を手に、無精ひげと汗にまみれて、なにかひとつの思想に凝り固まって、なにかとあればすぐ自爆し、ネズミのように必死に這い回っているかのような印象を持ってる人もいるかも知れないが、テロリストの、特に幹部や指導者というものは(時としては実行犯でさえも)過去の歴代の人物を並べてみると、ほとんどが高学歴で、エリート層、さらには裕福層の人間であることがわかる。

僕らが想像する以上にテロリストは頭が良く、教養深く、さまざまな知識を持っていて、コネもカリスマもあるような人物が中心となっており、その頭脳は恐ろしく狡猾で、非情だ。
そもそもテロ行為は法律(国際法も含む)逆手に取るところから設計がはじまっている。

だから「裁判にかけるべきだ」というのは、むしろテロリストの肩代わりに発言してあげているにすぎなくなってしまう。

戦争という扱いになると、逆にテロリストたちは困ってしまう。ハーグ陸戦条約が適用されるからだ。

これはなにかというと、「戦争のためのルール」で、おかしな話、世界中で行われている紛争・戦争は、このルールにのっとって行われている。そして、このハーグ陸戦条約にあてはめると、テロリストの行為はすべて「違法」ということになり、こうなると彼らの権利は失われる。つまり、彼らは裁判を受ける権利などはないということになる。

対テロ戦は、こういうところからも展開されることを知っておく必要がある。


テロの厄介なところは、その破壊・殺戮行為は時として戦争並であるのに対し、まったくルールがないということだ。犯罪的なのだから当たり前とも言えるが、このルール無用は僕らの想像を絶する。まずわかりやすいのが、平気で嘘をつくというのがある。

過去の歴史を振り返っても、テロリストの発言のほとんどは嘘ばかりで、それこそ嘘しか言っていない場面さえある。テロとはそもそも、プロバカンダの手法であるということからして、彼らの発言がいつも正しいわけではないのはわかるだろう。

もちろん、アメリカ政府なども本当のことばかり言うわけではないし、隠蔽も、嘘による工作もする。
だからアメリカ政府に対して疑念を持つ人、または後に暴かれた隠蔽行為などを非難する人もいる。

しかし、テロリストに対してはどうだろう? 意外と疑念を持つ発言や考えはあまり聞かれない。

「我々は被害者だ。アメリカは我が地の女・子どもを無作為に殺害した」などと言うと、「ああアメリカそういうことしたのか」と思っちゃったりする。
テロリストはたしかに問題だが、彼らは思想や権利を守るために犯罪者となってしまったのであり、言いたいこともあるだろう・・・というような視点で見てしまったりという人もいるだろう。下手すると、宗教的思想者というレッテルから、そういうことにかぎっては「とんでもない嘘は言わない」とさえ漠然と思ってる人もいるかも知れない。

しかし残念ながら、ないことをあったかのように当然と言う、というのがテロの常套行為で、彼らの発言はまず、信じてはいけない。
「女・子どもを殺した」といった内容も、実際は彼らが女・子どもを利用したがために犠牲になっているケースも多い。(彼らにハーグ陸戦条約はないに等しい)


もちろん、アメリカが間違って爆撃しちゃって殺しちゃったなんてのもたしかに存在するだろう。
しかしテロリストはそういうのをむしろ待ち望んでいるようなアタマをしているということを忘れてはいけない。自国民の少年を人間爆弾に仕立て上げることのできるアタマであるということを忘れてはいけない。
テロリストが、自己以外の味方になったことなどなく、自己以外のなにかのために戦ったり死んだりした例もない。


テロとの戦いが泥沼に陥る原因として、テロリスト側が圧倒的に有利な立場にある、というのがある。

テロリストが弱者ゆえの反抗のように思っている人は、考えを改めた方がいい。それは彼らの演出にうまくのっけられてるにすぎない。


まずテロは、投下する資金・人的資源・時間の割に、あまりにも効率がよく、ちょっとした作戦で大きな効果が得られるというのがある。
戦争という定義にのっとったものであれば、相手国の軍隊と戦わなければならないので、こっちも正規軍である必要があり、そのための資金と人員は相当なものなる。また、先の条約にも縛られるし、下手すると一国相手ではなく、連合軍が相手になる可能性だってなくはない。

しかし転じてテロ作戦となると、数万円分のC4爆弾と、一人の英雄がいればいいわけで、それを町の広場でドカンとやって数百人殺せば、成功である。

彼らにとって、一人の盲信的な兵隊を作るのは簡単なことである。これは映画「シリアナ」などにも描かれているが、実に悲惨なやり方だ。

数百人の民間人を殺してなにが成功かというと、テロは物理的破壊戦ではなく、心理戦だということで、自爆もいとわない戦士が敵にはおり、宣戦布告もなしに不意にいつどこで誰がやられるかもわからない、という恐怖を相手に植えつけるという、実に効率のいいやり方をしているわけだ。

9・11も、3000人近い犠牲者を出しながらも、テロリスト側の損失は逮捕者も含めて12、3人。

9・11は世界中でこれでもかというくらい報道されたが、テロは少ないエネルギー効率で、絶大な宣伝力を持つのも大きな特徴だ。

一機の旅客機や大使館を、数個の武器と数人とで乗っ取れば、それが乗っ取られている数十時間、もしくは数日間は、彼らを主役にした報道が繰り返しされる。彼らはタダで、世界中のメディアをつかって自分の思想や主義主張を宣伝でき、いろいろな要求も可能だ。そしてなによりもその時間の間、ずっと敵の顔に泥を塗ることができる。

頃合いを見て降伏すればいいと考えていたならば、これほど頭の良いやり方はない。これがテロなわけだ。
それで逮捕されたとしても、彼らは味方からは英雄扱いとなるわけで(これは死んでもそうだが)、裁判時にまた法廷で宣伝行為ができる。

最悪は、またその英雄を解放させるためにまたテロが起きたりすることだ。


対テロ戦の鍵は、「テロ行為は非効率である」という状態にもっていく、まずはこれに尽きる。テロがなくならないのは、「効率が良い」からなのだということを、僕らは知っておかなければならない。

心理戦、法規戦ということを考えると、彼らをただの犯罪者とするのではなく、交戦権失効(捕虜・裁判としての権利なし)の敵として扱い、彼らの主義主張の喧伝の助長になってしまう行為も極力控える、ということになる。


そう考えると、今回のアメリカのビン・ラディン殺害作戦は、「対テロ戦としてあたりまえ」のことをやっているにすぎないということがわかっていただけるだろうか。


しかし、これでまた報復という名のテロが繰り返されるのではないか、という懸念もあって、「それでは泥仕合じゃないか」と誰もが思うだろう。

もしあなたがそう思うなら、すでにテロリストの勝ちということになる。もし世界中がそういう気持ちに支配されたなら、テロリストたちのこれまでの行為がすべて、ただ、報われるだけだ。テロとは、そういうものだ。


そもそも、テロを招くような政治的行為をしているアメリカにも非があるという声もあるだろう。


だけど、テロはテロであり、そこにはどんな言い分も認められない。


それでももし、今回のビン・ラディン殺害などに対し、人道的、もしくは政治的などのあらゆるどんな視点にせよ反感を感じているのであれば、それは僕から言わせれば、家族や知人がテロの犠牲になった立場に置かれていない、という幸せをただ噛み締めているにすぎないに等しい。









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2011年03月05日

ラーメン 「ねじ式」

ずっと更新してなかったねい。

先週、幡ヶ谷は六号通り商店街にあるラーメン屋、ねじ式へ行きました。なかなか行けないので尻尾フリフリでございましたとも、ええ。


ここ、裏手にプチ行列のできるラーメン屋があるんですが、そこより全然ねじ式の方がおいしいという。
てか、その裏手くんはもう、化学調味料いれすぎ!!!


さて、ねじ式のラーメンです。700円。

Photo 05-3-11 18-54-36.png


とんこつ醤油ですが、家系みたいにこってりとしてなくて、意外とあっさり。ひき肉との相性が良くて、ラストスパートまで一気にいけます。
もやしが多いのも高ポイント。叉焼もおいしいよ!!



特筆すべきは麺の太さで、「うどんかよ!」と言いたくなるほどの太さ。しかしこれが癖になる!


Photo 05-3-11 18-54-45.png


麺好きならたまらないコシ!!

麺が太いので、茹で上がりに少し時間がかかりますが、待ちますとも!! ええ!!


店内はカウンターのみですが、綺麗で清潔です。iPodで洋楽流してるというちょっと変わった感じの空間なり。


幡ヶ谷は、客動員に関しては、駅にもろ近の武蔵家(横浜家系)の独り勝ちみたいなとこがありますが、家系ファンの僕でも、「どっちかとれ」と言われたら、迷わず「ねじ式」なのでございます。


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2010年07月15日

POKERのススメ

昔ほどゲームはしなくなったのだけど、iPhoneを手に入れてから、無料ゲームアプリをちょこちょこいじるようになってきた。

ニンテンドーDSとか、PSPとかまったく無縁だったので、こういう小さい機械と画面でポータブルにゲームをすると、僕が蘇ってしまう記憶は、ゲーム&ウォッチというwww

やっぱり無料のやつというのは、やっぱり無料なわけで、「やっぱり」という出来だったりするわけです。うん、やっぱり。

そんな中で、はじめちゃうとハマっちゃうやつがありました。
これです。

Live Poker 7K Free by Zynga.png

Live Poker 7K Free

これはオンラインで世界中の人とポーカーができちゃう、というやつ。
Zyngaというゲーム会社が提供しています。

これはアカウントに、Facebookのアカウントを使用します。
ええ、何気にひっそりと、Facebookに登録していたりする僕。
友達はヘイリしかいないけど....

さておき、FacebookのゲームアプリのiPhone版なのかな? と思って、Facebookにアクセスして探してみましたら、あったあった。

mixiのアプリに、テキサス・ホールデムというアプリがあるようですが、それはこのZyngaをまんまパクったようですねw


僕はなにを隠そう、世界最大のオンライン・ポーカー・サイト、Poker Starにも登録していたりする、ポーカー好きなんです。

Poker Starは、法律が許す国からのアクセスであれば、現金を賭けてゲームをすることもできます。つまり、オンラインカジノなわけなんですね。

ちなみに日本はもちろんダメです。ですから、バーチャル・マネーで遊ぶわけです。

Zyngaポーカーも、この老舗のPoker Starの感じを基本として設計されています。
ただ、Poker Starのシステムは大変な多機能で、たとえば他のプレイヤーの情報をメモする機能まであったりします。
つまり、「この人はハッタリが多い」とか、「この人はすぐおりる」とか、相手プレイヤーのメモをとって、戦略に使うわけなんです。

機能もいろいろあっていいのですが、全部英語ですし、登録して、クライアントアプリをダウンロードして...ってなると、初心者にはちょっと敷居が高いですよね。

そういう意味では、Zyngaは気軽にできますね。実際、少年とかも参加したりします。


ポーカーの魅力はなんといっても、メンタル戦です。
よく、「ポーカーフェイス」などと言いますが、オンラインだと顔が見えないだけに、相手の手を読むのが難しくて、またそこが楽しいのです。

ポーカーのルール(ゲームスタイル)はいろいろあるんですが、一番人気があるのが、テキサス・ホールデムというルールです。
歴史的には最も新しいルールなんですが、大抵、ポーカーといったらこのホールデムを指すくらい、今や世界的スタンダードなゲームになっています。

映画などでポーカーのシーンがあれば、まず間違いなくテキサス・ホールデムですね。

ルールがシンプルで、初心者でも覚えやすいのと、スピード感のある展開が魅力です。

このZyngaも、テキサス・ホールデムを採用しています。

ポーカーは強い役を作って、勝つ、というのが基本ですが、それが本質ではありません。
弱い役、もしくはブタ(役なし)でもかまわないのです。要は、相手を降ろさせればいいわけですからw

ポーカーで一番美しい勝ち方は、他プレイヤーを全員Foldさせる(降ろさせる)ことです。

わかりやすくポーカーを説明してくれてるサイトがあるので、詳しいことはそちらにまかせて、ちょっとポーカーの画面をご紹介しましょう。

Facebookのアプリの画面です。

100715-0001-1.jpg

図にある通り、「Play Now」を押せば、適当に開いてるテーブルの席に連れていってくれます。「Sit」って出てる席が空席ですので、クリックします。

すると最初は持ち金を決めるスライダーが出るので、それで持ち金を決めて、「Buy the Game」を押すと、席について参加、となります。最初から$40,000くらいは持ってる状態から始められたと思います。

これがゲーム画面です。
画面右下はチャット欄になってます。が、外人ばかりですし、特にスパニッシュも多いので、なに話してるかわかんないことが多いw

poker.jpg

いやらしいですが、ちょうど僕がツー・ペアで勝っちゃったところの画面です。他プレーヤーがすごいレイズ(大きく賭ける)してきたので、結構儲かっちゃいましたw

僕の手の 2と3は、手札では最も弱い手です。数字で一番強いのはAなので、ほんとに一番下っ端の組み合わせです。
これで勝てたのは嬉しかったですね。ただ、こういう勝負はあまりしませんw

Flop(フロップ・最初にテーブルに出された3枚のカード)の時点でツー・ペアですから、勝負に出たわけです。

テキサス・ホールデムは、最初に配られた2枚の手札と、テーブルに順に出されていく5枚のカードとの組み合わせで、役を作っていきます。

画面ですと、僕は手札の2と3、テーブルのカードの2と3で、ツー・ペアになっている。
この画面は勝敗が決まった瞬間のスクリーン・ショットですので、みんなの手札が公開されています。

ちなみに左上の人は、KとAで、かなりいい手札なのですが、テーブルのAとでワン・ペアどまりだったわけです。
ただ、テーブルにあともう一枚ハートが出ていたら、FLUSH(フラッシュ)が完成していた....FLUSHは、同じスート(絵柄)が5枚そろうという役で、強い役です。

ちなみに、ポーカーのフラッシュは、FLASHではありません。FLUSHと綴ります。トイレを流すというような意味です。

右上の人は最初から9のワンペアを持ってます。すでに役がある状態ですので、強気に出たんですね。有り金全部賭けて、すっからかんの$0になっています....
テーブルに一枚でも9が出ていれば、3カードという役になり、彼が勝ったでしょう。

中央下の彼女は、8と10。連番で作られるストレートを夢みたのかも知れませんが、テーブルとの組み合わせでは完全に役なしです。
ほんとなら、Flopの時点で降りてもよかったかも知れません。


ゲームは、真ん中の4つのボタンで操作します。自分の番がきたら、この中のいずれかを押すだけです。
かなり乱暴に説明します。


CHECK → 降りはしないが、賭け金の上乗せもせず、次の人の番へ渡す。

トランプゲームにありがちの「パス」にも似ているが、パスしたからといって不利になったりするわけでもありません。
全員がCHECKするということは、普通に考えたら、「みんなそんなにいい手ではない」と考えることも出来ます。(そんなに単純ではありませんが...)


FOLD → 「降りる」です。

最初の二枚が配られた時点で、「こりゃだめだ」と思ったら、そこでFOLDもできます。
最初のブラインドチップ(場代を払わなければならない立場だと、最初に徴収されます)も払ってなかったら、一銭も損せずに降りられます。
ゲーム中、相手が大きく賭けてきて(RAISEしてきて)、勝てないと思ったら、その時もFOLDです。BETしていたお金は失います。


CALL → 相手と同じ賭け金をBETする。

自分より手前の人が、RAISEしている(賭け金上乗せ)した時に、「CHECK」ボタンが、この「CALL」にかわります。つまり、CHECKができません。
CALLするか、FOLDするしかないのです。
いける、と思ったら迷わずCALLです。
相手の勝負を受ける、といった感じでしょうか。


RAISE → 賭け金上乗せ

この画面には出ていませんが、「RAISE」ボタンが出てきます。これは、「俺の勝ちだぜ!」と強気に出るアクションです。「RAISE」ボタンを押すと、いくら上乗せするか、というスライダーが出るので、それで金額を決めて、チェックするだけです。
ALL IN、という有り金全部を賭ける、という手もあります。すごい度胸いりそうだと思うかもしれませんが、そんなに珍しい行為ではありません。現金ではないオンライン対戦だと、結構頻繁にあります。

CALL ANY → これをONにしておくと、自分の番になった時、たとえ誰がどんな金額のRAISEをしていようと、CALLする(受けてたつ)ということができます。
つまり、自動でCALL、という感じ。
あまり使用することはないですけどねw

CHECK/FOLD → これをONにしておくと、自分の番がきた時に、自動でCHECK(できる時)、もしくはFOLD(CHECK不可な時)します。


これさえわかってれば、適当にゲームできますww(まじかよw)

役は、こういうサイトで覚えてみてください。上から強い役の順番に紹介されています。覚えるのは結構簡単ですよ。

数字は一番強いのがAです。それは忘れないように。次にK・Q・Jと下がっていきます。
同じ役だった場合は、大きい数字が絡んでる方が勝ちとなります。


ポーカーはマインドゲームとして、今、世界的に盛り上がりつつあります。
ちょっと興味ある人は、トライしてみてください。


もしFacebookでお会いしたら、お声をかけてくださいよ!!

iPhone版のゲーム画面も添えて、今日はおわりにしたいと思います。

でぁでぁ。

poker_i.PNG

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2010年06月05日

Twitter限界

Twitterならさぼれずにつづくかと思ったけど、字数が足りない;;

最近文字を打ちたくてしょうがなくなってきたので、適当に再開。
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