2008年07月10日
2008年06月16日
2008年06月14日
イマジン!
名前はE.M.Aだそうです。
セガトイズからの発売ですけど、彼女はアメリカ製。
販売価格1万8,900円という値段からもわかる通り、特別すごい代物というわけではないのだけど、売りは「顔を近づけるとキスをしてくれる」というもの。
その動画がこちら↓。
はい、まあご覧の通り、ナニってわけでもなく、これだったらまだソニーのAIBOとかの方がすごいのだけど、フォルムや動きが女性的で、そしてキスモードがあるってところが、ちょっと話題のようです。
こういった「女性型」を作らせたら、日本だとロリ系な方にいっちゃいうそうなんだけど、E.M.Aはちょっとサイバーな感じだねぃ。
で、先述のようにこれはアメリカ製なんだけど・・・・デザインをよく見ると、とても日本のロボットデザイン(特にアニメやゲームとかの)の流れを随所に汲んでるように見えます。
エヴァンゲリオンとか、あのあたりとかかなあ? エヴァンゲリオンはちゃんと観たことないので、細かいところはわからないけど、なんとなくあれを思い出したりしました。
こういうのは珍しいことでもなくて、たとえば「トイ・ストーリー」のバズ(だっけ?)の足のデザインとか、もろ機動戦士ガンダムの影響を受けています。
ここで言いたいのは、別に日本のそういったSFデザインが、海外に影響を与えている・・・などということではありません。逆の場合も多いわけで、むしろそういうものに関しては、実際は日本の方が海外の影響を受けてる。日本で独自に進化して、里帰りしているものもいっぱいあります。
で、僕が今回感じたのは、"イメージの共有"ということ。
誰かのイメージが誰かのイメージに影響を与え、そのイメージがまたふくらんで新しいイメージになり、そして共有されることによって、この現実世界に物質化してあらわれる・・・・みたいな。
mixiの僕の日記のコメントに、マイミクからこういうのがありました。
"考えてみるとすごい時代になりましたね"
ネットとか、メッセンジャーとか、そういうことについてなのだけど、メッセンジャーなんてどんなに離れていても、リアルタイムにコミュニケーションとれるのだものね!
それをいったら携帯だってすごい。今じゃ海外でも使えるし、写真や動画もとれて、メールもできて、オサイフになって、ゲームできてテレビ観られるwww
今まさに僕らは、充分すごい"未来"に住んでるなとw
で、こんなことも感じたのです。
この数十年で、人類はすごい発展をしたもんだなと。多く見積もっても100〜200年で、空を飛んで、月へ行き、コンピュータを開発し、ロボットが二足歩行してる。100〜200年そこらって、人類の歴史からしたら、1分みたいなものでしょう。
日本だって、明治維新前までは電気もないような時代だったわけですよ。
たとえば新幹線ってありますよね。これ、昭和39年開通ですよ?
終戦から20年たってないわけです。もうこの頃には、首都高速もある程度、カタチをなしていました。
焼け野原になって、敗戦で借金だらけの日本が、こんな短期間に世界でも有数の高速列車に、高速道路、高層建築などを次々に生みだし、そして今やロボットでは超先進国なわけですよね。
なぜなんだろうか。これが他の国でなく、なぜ日本がそうなったんだろうか、と。ましてや世界と戦争して敗戦し、疲弊した国ですよ。
この理由は様々あって、政治的、経済的などいろいろ絡み合ってるのでしょうけど、僕は前々から "イメージの共有" というのが大きいのではないかと思っているんです。
日本人が、日本人ならではの"共有しているイメージ"があって、それらが加速を助けているのではないかと。
こんなエピソードがある。
大航海時代に、あるヨーロッパ圏の帆船がある島にたどりつくが、そこの原住民たちは沖にある大きな帆船を、一週間近くも「見る」ことができなかった・・・・というもの。
目の前にあるのに、見えない。これは、あまりにもその人間の概念外にあるものは、知覚できない・・・・という究極的現象なのかもだけど、この事件の真偽はおいといて、イメージとして持ってないものは、その人間にとっては存在してないものであるに等しい・・・とは言えると思うのです。
イメージできないものを、創り出すことはないでしょう。実際、少なくとも今、僕らの回りにあふれているものはすべて、イメージが先にあった・・・・つまり、人の頭の中を一旦通ってきたもののはずです。あの消しゴムも、そのかわいいデザインのマグカップも、あそこの中華料理屋のチャーハンも。
じゃあ、日本人が"共有していたイメージ"とはなんだろうか。
僕はそのフラッグシップは、手塚治虫ではないかと思うのよね。
手塚治虫が漫画をバリバリ描いていたころは、「悪書追放運動」といって、PTAだとかあのへんが率先し、子供に悪書を見せないようにしようという動きがあったんだな。駅前とかに、「悪書はここに入れてください」などというポストが立っていたりしたんです。僕も小さい頃にそんなポストを見た記憶があります。
で、漫画も悪書に指定されていたわけです。これは手塚治虫も面白くなかったらしく、当時の作品の中で風刺ネタを披露してたりします。
特に売れっ子だった手塚への風当たりは強く、ほとんどバッシングといってもいい風潮もあった。
彼らの言い分はこうである。鉄腕アトムなどに描かれる内容に対して、
「遠距離を短時間で結ぶ高速列車だとか、高速道路だとか、高層ビルなど、そんなものが未来の日本にできるはずかない。不可能だ。手塚はひどい妄想を描いて、子供たちに見せている」
といったような感じ。
たしかに、敗戦で瀕死状態な日本で、そんな未来をイメージできないというのもわかる気もしますよね。
でも大人はさておき、子供たちは目を輝かせて読んでいたのでしょう。
で、実際はどうかというと、手塚治虫が生きているうちに日本人は実現してしまった。
日本人がアトムを生み出す日も近いのかなっ!
セガトイズからの発売ですけど、彼女はアメリカ製。
販売価格1万8,900円という値段からもわかる通り、特別すごい代物というわけではないのだけど、売りは「顔を近づけるとキスをしてくれる」というもの。
その動画がこちら↓。
はい、まあご覧の通り、ナニってわけでもなく、これだったらまだソニーのAIBOとかの方がすごいのだけど、フォルムや動きが女性的で、そしてキスモードがあるってところが、ちょっと話題のようです。
こういった「女性型」を作らせたら、日本だとロリ系な方にいっちゃいうそうなんだけど、E.M.Aはちょっとサイバーな感じだねぃ。
で、先述のようにこれはアメリカ製なんだけど・・・・デザインをよく見ると、とても日本のロボットデザイン(特にアニメやゲームとかの)の流れを随所に汲んでるように見えます。
エヴァンゲリオンとか、あのあたりとかかなあ? エヴァンゲリオンはちゃんと観たことないので、細かいところはわからないけど、なんとなくあれを思い出したりしました。
こういうのは珍しいことでもなくて、たとえば「トイ・ストーリー」のバズ(だっけ?)の足のデザインとか、もろ機動戦士ガンダムの影響を受けています。
ここで言いたいのは、別に日本のそういったSFデザインが、海外に影響を与えている・・・などということではありません。逆の場合も多いわけで、むしろそういうものに関しては、実際は日本の方が海外の影響を受けてる。日本で独自に進化して、里帰りしているものもいっぱいあります。
で、僕が今回感じたのは、"イメージの共有"ということ。
誰かのイメージが誰かのイメージに影響を与え、そのイメージがまたふくらんで新しいイメージになり、そして共有されることによって、この現実世界に物質化してあらわれる・・・・みたいな。
mixiの僕の日記のコメントに、マイミクからこういうのがありました。
"考えてみるとすごい時代になりましたね"
ネットとか、メッセンジャーとか、そういうことについてなのだけど、メッセンジャーなんてどんなに離れていても、リアルタイムにコミュニケーションとれるのだものね!
それをいったら携帯だってすごい。今じゃ海外でも使えるし、写真や動画もとれて、メールもできて、オサイフになって、ゲームできてテレビ観られるwww
今まさに僕らは、充分すごい"未来"に住んでるなとw
で、こんなことも感じたのです。
この数十年で、人類はすごい発展をしたもんだなと。多く見積もっても100〜200年で、空を飛んで、月へ行き、コンピュータを開発し、ロボットが二足歩行してる。100〜200年そこらって、人類の歴史からしたら、1分みたいなものでしょう。
日本だって、明治維新前までは電気もないような時代だったわけですよ。
たとえば新幹線ってありますよね。これ、昭和39年開通ですよ?
終戦から20年たってないわけです。もうこの頃には、首都高速もある程度、カタチをなしていました。
焼け野原になって、敗戦で借金だらけの日本が、こんな短期間に世界でも有数の高速列車に、高速道路、高層建築などを次々に生みだし、そして今やロボットでは超先進国なわけですよね。
なぜなんだろうか。これが他の国でなく、なぜ日本がそうなったんだろうか、と。ましてや世界と戦争して敗戦し、疲弊した国ですよ。
この理由は様々あって、政治的、経済的などいろいろ絡み合ってるのでしょうけど、僕は前々から "イメージの共有" というのが大きいのではないかと思っているんです。
日本人が、日本人ならではの"共有しているイメージ"があって、それらが加速を助けているのではないかと。
こんなエピソードがある。
大航海時代に、あるヨーロッパ圏の帆船がある島にたどりつくが、そこの原住民たちは沖にある大きな帆船を、一週間近くも「見る」ことができなかった・・・・というもの。
目の前にあるのに、見えない。これは、あまりにもその人間の概念外にあるものは、知覚できない・・・・という究極的現象なのかもだけど、この事件の真偽はおいといて、イメージとして持ってないものは、その人間にとっては存在してないものであるに等しい・・・とは言えると思うのです。
イメージできないものを、創り出すことはないでしょう。実際、少なくとも今、僕らの回りにあふれているものはすべて、イメージが先にあった・・・・つまり、人の頭の中を一旦通ってきたもののはずです。あの消しゴムも、そのかわいいデザインのマグカップも、あそこの中華料理屋のチャーハンも。
じゃあ、日本人が"共有していたイメージ"とはなんだろうか。
僕はそのフラッグシップは、手塚治虫ではないかと思うのよね。
手塚治虫が漫画をバリバリ描いていたころは、「悪書追放運動」といって、PTAだとかあのへんが率先し、子供に悪書を見せないようにしようという動きがあったんだな。駅前とかに、「悪書はここに入れてください」などというポストが立っていたりしたんです。僕も小さい頃にそんなポストを見た記憶があります。
で、漫画も悪書に指定されていたわけです。これは手塚治虫も面白くなかったらしく、当時の作品の中で風刺ネタを披露してたりします。
特に売れっ子だった手塚への風当たりは強く、ほとんどバッシングといってもいい風潮もあった。
彼らの言い分はこうである。鉄腕アトムなどに描かれる内容に対して、
「遠距離を短時間で結ぶ高速列車だとか、高速道路だとか、高層ビルなど、そんなものが未来の日本にできるはずかない。不可能だ。手塚はひどい妄想を描いて、子供たちに見せている」
といったような感じ。
たしかに、敗戦で瀕死状態な日本で、そんな未来をイメージできないというのもわかる気もしますよね。
でも大人はさておき、子供たちは目を輝かせて読んでいたのでしょう。
で、実際はどうかというと、手塚治虫が生きているうちに日本人は実現してしまった。
日本人がアトムを生み出す日も近いのかなっ!
2008年06月12日
ショートショートフィルムフェスティバル
昼間、原宿のLaforetで開催中のSSFFに行ってきやした。
鑑賞したプログラムはI−Bで、ひとつだけだったのだけど、なかなか力作ぞろいで楽しかったです☆
なかでも特に一番よかったのが「in vivid detail(つづりあってるかな 汗)」という、ニューヨークを舞台にした女性監督の作品。(この作品の監督が来日していて、ライヴトークをみることもできました。)
帰りに一票、作品に投票もできるので、もちろんしてきました。
いろいろと実験的な作品もあって、そしてそういうのはショートフィルムならではの楽しい試みのひとつなのだけど、やはり短時間の中にもしっかりと人間を描いているものが、結果的には強く胸に残りました。
つまりは、僕は長編も短編も関係なく、映画は人を描いて欲しいと感じているのだなと、あらためて思いいました。
どんなに奇抜なアイデアで、斬新な映像の魅力にあふれていても、一見地味でも一匹の人間を強く描いている作品に心奪われてしまいます。
芸術はなんでも究極的には「人が見えてくる」ものだと考えています。浮かび上がってくる、にじみでてくる、というか。
たとえば僕はゴッホの絵だと「靴」が好きなのだけど、これはただゴッホが自分の履き古した靴をクローズアップで描いてるだけなんだよね。だけど、そこにすごくゴッホ自身が見えてくる、感じることができるんです。
これはもう、別な意味で自画像なんじゃないのってぐらい、人間くささが迫ってくる。
逆に希薄なものというのは大低、人間不在に陥っているものも多いと思うのです。
とにかく今日は、ちょっといい刺激をもらった日でした。
どんな刺激かは、夏に撮影する作品に乞うご期待☆