2012年12月30日

92歳

Huluにおける、「WALKING DEAD」のシーズンが終了してしまいました。
超〜〜〜〜〜〜いいとこで終わるので、なんだこのマゾさはと思いましたが、まあしょうがない。
新シーズンは来年までおあずけです。

さておき、ローリ役のサラ・ウェィン・キャリーズはなにかこう、信用できない偏見を持たずにおれません。
彼女は「プリズン・ブレイク」をシーズン2で降りています。ちょっとそれはありえないでしょう? ゴシップによればそれは、家族との時間を取りたいからなんとかということなんですが、おかげで「プリズン・ブレイク」のシーズン3は悲惨なものになっています。なんていったって、マイケル・スコフィールドの強い動機になる人物だからです。

この「WALKING DAED」においても、彼女の立ち位置はものすごい重要です。ところがネタバレをするなら、彼女は突然いなくなってしまう。
降りたのでしょうか? そんな勘ぐりをしてしまいます。

作品につきあえないなら、なぜ俳優をしているのでしょうか?

俳優にとって、作品や出演者が家族になれないなら、これほど本人にとって不幸なものはありません。


まあ、んなこたあさておき、今日はちょっとあるお店の忘年会です。
こちらのお店のママさんは、母の古い付き合いの仲良しさんです。
僕も大好きで、父の密葬にも参加した方です。というか、父が大変親しくしていた方でもある。

そちらの忘年会へ、母の代理で参加しました。

若輩一人、ちょっと浮いていたのですが、隣り合わせになった山村さんという方が、92歳と伺って超びっくり。
だって一人で飲みに来て、カラオケをかましてるんですよ? 話してても、まったくしっかりしていてゆるぎない。

どうみたってそんなご高齢とは思えないわけです。

父が前のめりに70で亡くなったので、なんだこの差はと思いました。
で、いろいろお話をうかがっているうちに相当ひきこまれてしまいました。

もちろん大正生まれ。戦争にも行っています。ハルピンに出征後、沖縄本島か宮古島移動かで運命がわかれたそうです。

「沖縄移動なら、おわっていたでしょうね」
「そうだね。まさにそう」
「玉音放送は生で?」
「そうだね」

どうですか。昭和のテッペンからケツまで知ってるわけです。


正直、20代ごろの僕というのは、相当な老人嫌いでした。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公が、やはり老人に対する嫌悪感をあらわにしてこきおろすのですが、ずいぶんと共感したものです。

だけどこの年になって、老人の美学というものに気づきはじめました。


「長生きはするもんだ」などというセリフがありますが、これが「まったくそのとおりである」という生き証人と今日出会ったわけです。

彼は1世紀近く生きて、そしてその経験をしっかり他人にシェアできる立場にいるのです。そしてそれのどれもが美しい。
復員して無条件で警察への呼び声があったが、前職の日本製鋼に戻ったこと。そしてそれは母のすすめであったこと。理由は、一度お世話になっところに報いるべきであるということ。日本製鋼は諸手を挙げて彼を待ち望んでいたこと。
横浜から毎日、蒲田の会社(当時は7時開始)に通勤したこと。松竹の俳優候補に呼ばれたが、肌にあわず挫折したこと。なんでもない数えきれないエビソードが、今となってはいちいち美しいのです。

彼の半生は普通のサラリーマンだったのかも知れませんが、つまり、この世に無駄な人生などない、ということをじわじわと実感させられるものがあるのです。

僕は自分が長生きするとは思っておらず、よくて60歳くらいだろうと楽観していたのですが、それは「悲観」なのだと思い知らされました。

うーん、うまく言えないのだけど、「死んで花実が咲くものか」という言葉の実体がここにある。

家族を一人でもなにかしらのかたちだ失ったことのある人なら、この感じはわかっていただけると思う。


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2012年12月19日

仕事おわた

おわた.....やっとおわた....

仕事おさめってわけじゃないけど、やっと通常運転に戻れます。

ウォーンキングデッド観ぃ〜の、酒飲みぃ〜の、なんていうか、普通にしぃ〜の....
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2012年11月11日

プチ・同窓会

今日は、中学時代の同級生男子4人組でちょっとした同窓会。

田巻と羽沢さんと修ちゃん。

20年前後ぶりなのですが、人間ってそうそう変わるもんじゃないですねw
話しぶりとか表情が、当時のまんま!!
どうやら、僕もそうみたいですw

僕と田巻は小学生と時から"落ち着かない二人"として先生に睨まれていたのだけど、田巻のバイタリティは衰えてないみたいw
羽沢さんも相変わらず柔らかい物腰でいいやつだったし、修ちゃんも相変わらず"エロ修"だったww

「あの頃は、まさか自分らが40歳になるとは思ってもみなかった」....とかw まあねえw

ずいぶん久しぶりだというのに、まったく壁がないというのは、やはり同級生だねえ。
これはたとえどんなに仕事関係とかで懇意になった人とかでも、創り出せないものがあります。

ひさしぶりにうまい酒でございました。

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2012年10月21日

みかわんちでBlu-ray

長年の親友のみかわ氏の家にお邪魔したのだ。

というのも、Blu-rayの「ジョーズ」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が観てみたくて!

なんと、Blu-rayはほぼ初体験。実は、あまり興味を持っていなかった。
テレビもみない人なので、観るといったら映画くらい。でも映画はそれなりに情報が取得できるレベルならOKってことで、画質にこだわったことはなかった。

だけどそれは間違ってたようだわ!

「ジョーズ」は.....まったく別の映画になっていた。
何度観たかわかんないくらい観てるのだけど、生っぽさが違う。
ロイ・シャイダーの肌の質感が違うwww

すごく新鮮に観ることができて、とっても面白かった!!

「ジョーズ」は、映画の勉強したかったらこれ以上の授業はない、というくらいの傑作だ。それを再確認した。
スピルバーグ自身が、のちにこの作品を越えられなくて苦しんでたんじゃないかと思ってしまうくらいw

単に魚を駆除する話なのに、「人をきちんと描く」ということに徹したスピルバーグの勝利。
特にバーナード・ショーとリチャード・ドレイファスが傷を見せ合うところは何度観てもいいシーンだね。

こないだの「レイジ34フン」でもちょっと触れた、映画における「視点」の話にもつながるのだけど、みかわと「やはりスピルバーグはこの「視点」の使い方がめちゃくちゃわかってるね」という話になった。

「ジョーズ」は、「鮫の視点」というのがあるようで、実は一切ない。あるとしたら、最初の犠牲者のほんの数秒だけで(これも怪しいのだけど)、あとは一切ないのだ。
こう言うと、「ええ? そうだっけか。鮫の視点から人を襲うカメラワークがいっぱいあったように思うけど」と感じる人もいるかもなんだけど、それはたぶん、あの印象的なオープニングと最初の襲撃シーンの感覚が尾を引いてるだけだ。

人間側の視点のみで描くという、この上ないお手本がここにあるのに、その「ジョーズ」が火付け役となったその後のこの手の作品は、襲う側のクリーチャーの視点的カメラワークというのをやたら使うものも多い。
それが必ずしも悪いとは言わないけども、前にも書いたように視点が移動すると観客の脳には必ずサブリミナル的に「第三者としての視点」が芽生える。

それは、「物語から離れる」ということでもある。

こういうので、視点を移動して最も成功した例としては、「羊たちの沈黙」のラスト、犯人の暗視スコープの見た目に浮かぶクラリスの顔、というやつぐらいしかパッと思い浮かばない。(これは劇場で観客の女性が数名悲鳴を押し殺したのを覚えている)

映画において視点をきちんと定めるというのはなかなか難しいのだけど、重要なテクニックだと改めて思った。



「ジョーズ」はBlu-ray化にあたって大規模なデジタル・リマスターが行われた。それだけに「やっぱすごい」という感じだったのだけど、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はこれまた単純に面白いので普通に楽しんで観てしまったw

だけど「ああ、やっぱりディティールが違う」というのは感じた。気にならなかったカー・スタントマンの顔とがわかってしまうのだw

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も恐ろしく回数を観ている作品なんだけど、何度観てもいいねこれは。
ロバート・ゼメキスのハリウッド臭い演出がかえって奏を功した作品。
脚本が完璧なので、「面白くなる」と確信している製作側が、わくわくしながら作ってるのが伝わってくる。

観てていつも思うのは、無駄がまったくないということ。ひとつでも欠けると、すべてがバラバラになりそうなほどぴっちりとピースが組まれている。

みかわも言ってたけど、一本の中にクライマックスが3つもある作品というのはなかなかないと思う。


それはそうと、今朝、中学時代に仲の良かった同級生をFacebookでたまたま見つけて、フレンドになったんですね。20年以上ぶりなんですが.....そういや公開当時、この「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を一緒に観に行った相手だったことも思い出した。面白いものですねw


さておき、みかわ家はとても良い。帰りたくなくなってしまう。
みかわとはいくらでも映画話で盛り上がれるし、子供たちとのやりとりも楽しい。てか、長女がもうはたちとは.....月日というやつはまったく.....


次は「ダークナイト・ライジング」Blu-ray上映会にお邪魔させてもらうつもり。

てか、Blu-rayに走っちゃいそうだなあ.....


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2012年08月27日

PRIZMATIC STONE 公演 「眠っちゃいけない子守歌」 観劇

千秋楽を新宿 サニーサイドシアターにて。

作・別役実
演出・石井一十三
出演・石井ひとみ 紫竹芳之

「新宿サニーサイドシアター 二人芝居演劇祭参加作品」となっていて、参加している4作品のひとつのようです。
観劇チケットの半券で、他の作品も一回ずつ観ることができてしまうという・・・・お得ですな!


去年の青果鹿の芝居において、舞台監督としてお世話になった小田史一さんが、やはり舞台監督として参加しておられます。


とは言いましても、実はこの公演は道を歩いていて偶然発見いたしましてね!!w
外に貼られていたリーフレットに小田さんのお名前を見つけて、「おお!?」となりまして、飛び込んだのでございますw

演出は「石井一十三」となっていますが、これはきっと出演の石井ひとみさんのことだと思います。


作者である別役実といえば、「不条理劇」というのが浮かんでくるのですが、やはりこの作品もどこか論理的には処理できないようにみえる男女のやりとりでつづられています。
この作品が、別役作品群の中で「不条理劇」と目されているのかどうかは知らないのですが、ただ、本当の不条理などというものはこの世に存在せず、あったとしてもそれは作品としては成り立たないわけで、不条理に見えていても、そこには必ず整合性に裏打ちされたものが支えている。

別役作品が他の「不条理遊び」的作品と違うのは、この整合性が結果的に美しい。
時に「不条理っぽい」作品は、「言葉遊び」にふけることが多いのだけど、別役作品に無駄なセリフはひとつもない。

などととやかく言ってますが、とにかく非常に面白かったです。観てよかった!!


冒頭、出演の紫竹芳之さんの尺八ではじまるのですが、一朝一夕の演奏力ではなかったのでちょっと驚いていたところ、やはりプロだということを小田さんから伺いました。


楽器の演奏から始まる・・・というのもいいもんですね! ひきこまれました。



そして帰りは・・・近くの末廣亭に寄って落語鑑賞w

なかなか有意義な夏の休日でした。
posted by ORICHALCON at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記