数年後には膨大な映画日記が出来上がってるならば、非常に夢膨らみます。
しかしそのためには、一日一本観なけりゃならない。
僕は基本的に家で仕事の人なので、Huluなどでなんとかそれはできそうだけど、基本的に観たことないやつを選ぶわけで、だけどこういうのって、どうしようもない映画をひいちゃう場合もある。
で、のっけからひいてしまった気がする。
13ウォーリアーズ
監督 : ジョン・マクティアナン
原作 : マイケル・クライトン
配給 : タッチストーン・ピクチャーズ
出演 : アントニオ・バンデラス
Huluに多い、タッチストーン・ピクチャーズ作品のひとつ。タッチストーンはディズニー・スタジオの持つ映画レーベルのひとつで、基本的に実写、ディズニー・ラベルは似合わないような作品(大人向け)を製作する。
タッチストーンは黒幕がディズニーだけあって資金難ということがなく、よってハズレは少ないが、時に恐ろしく地味な作品を作ることもあるので期待しすぎると「ん?」となって終わることも多いw
その中では、この13ウォーリアーズは「派手そう」な作品のひとつ。
主演のアントニオ・バンデラスでは観なかったと思うが、僕がこれに手を出したのは監督がジョン・マクティアナンだったというそれだけ。
代表作は「ダイ・ハード」「プレデター」「レッド・オクトーバーを追え!」など。
「プレデター」で、「この人才能ある!」と思っていた矢先に「ダイ・ハード」をかましてくれたため、僕の評価が不動のものになった。(特に「ダイ・ハード」は劇場で5回観た)
ただ、この3作品はまず脚本構成が成功していて、特に「ダイ・ハード」はシナリオの教科書にできるくらいの出来だ。
そしてマクティアナンはこれ以降、なかなか作品に恵まれないという不遇な人でもある。「ラスト・アクション・ヒーロー」の時点でとどめを刺されたと言っても過言ではない。
この人はたたみかけるようなアクションが得意で、特にヘリの飛行シーンを撮るのがものすごくうまい。なかでも「ダイ・ハード」ではヤン・デ・ボンの撮影も相まって、「ヘリのフライトシーンのお手本」みたいなものを作った。
しかし、「13ウォーリアーズ」にはヘリは出てこない。
Huluの説明にもある通り、原作がこないだお亡くなりになったマイケル・クライトン。「ジュラシック・パーク」の原作の人ですね。「北人伝説」という作品が原作らしいのだけど、もちろん僕はこの作品を読んだことがない。
約1000年前の北欧。そこへアラブから左遷同様で大使に送られた主人公が、蛮族に襲撃されているある村を救うために組まれた傭兵の、"13人目の男"として無理やり同行させられてしまい、死闘を繰り広げるというもの。
この作品はそもそも、興行的に「大惨敗」したとは聞いていたので(制作費の半分も回収できていない)、あまり期待してはいけないのだが、ここまで失敗作だとは思わなかった。
まずいちばん言いたいのが、これは明らかに「13人の侍」であるということ。
そう、ほぼ間違いなく「七人の侍」がモチーフになってると思っていいと思う。というか、そう思わざるをえない。
製作に原作者のマイケル・クライトンが加わっているので、映画化にあたってそうなったのではなく、原作の時点ですでに「七人の侍」が意識されていた可能性が高い。
シチュエーションや絵作りまでそっくり。たとえ本人たちが否定しても、笑えるくらい素人目にも明らかだ。
アラつつきのようだけど、類似点を箇条書きにしてみる。むしろこのあたりを意識してこの作品を観てみる、という楽しみ方もある。
・蛮族に襲撃されている村を、数名の戦士のチームが助けに行く
・主人公のアハメッドの馬は他の仲間より小さく、「犬に乗っている」と馬鹿にされるが、アハメッドはその馬で荒技をして見せる
(菊千代が与平の駄馬を扱うシークエンス)
・村に防柵を整え、村人たちと共に戦うシーン(「村人たちが不安がっている」などのセリフなど)
・馬で駆ける蛮族たちをシルエットで撮る
・村が盆地になっていて、蛮族たちの襲撃が丘からの落し駆け
(このせいでどう撮っても同じになってしまう)
・蛮族のアジトをゲリラ的に襲撃。仲間が一人死ぬ。
・主人公が村の女と一晩の関係になり、そしてそこは馬小屋
・最後の決戦が雨
ざっとあげてこんな感じだが、とにかく戦闘シーン、特に蛮族の撮り方が「七人の侍」の野武士そのものである。これは「七人の侍」を観たことある人なら、間違いなく同意していただけるはず。ただ、「蛮族は正体不明」的な要素があったので、そういう理由ももちろんあるだろう。
これはパクリなどというよりも、モチーフにしているんだと思うが、一旦「七人の侍」を感じ取ってしまうと、なんでもないシークエンスやプロットまでもが同じに見えてしまうという泥沼化に陥っている。
それはまあ、さておき、この作品は脚本の時点でかなり失敗を冒している。
一番わかりやすく言ってしまうと、「人間ドラマが希薄」というこの一言で終わってしまうのだが、じゃあ、「人間ドラマが希薄」とはどういうことだ、というハナシになる。
この作品の(もしくは原作の)テーマを挙げるなら恐らく、"アラブ人と北欧人の出会いと絆"という、いわゆる「ミート・ザ・ノース」なのだろうと思うのだけど、そのへんを意識し、なにかを受け取れる観客は少ないだろう。
主人公のアハメッドはアラブ人で、最初は「アラビアのロレンス」みたいないでたちなんだけども、中盤からは誰もが彼がアラブ人だということは忘れてしまってるし、そしてそのアラブ人だということも意味をなさなくなっている。
冒頭から20分くらいは、アハメッドは他の仲間(バイキングの傭兵)とは言葉が通じず、通訳なしではなにが起きているかもわからないのだが、急に(たった一晩で)言葉通じるようになり、通訳がいらなくなる。少なくともそう見える演出がされている。
これには観客のみならず、傭兵たちがびっくりするが、それに対するアハメッドの答えは、「聞いておぼえた!!」である。
そしてそこからはペラペラと普通に問題なく会話が交わされるのだけど、もちろん結局はみんな英語でしゃべるということになる(お約束)。
(本来はアハメッドはアラブ語で、傭兵側はギリシャ語)
アハメッドがアラブ人らしい(外国人らしい)要素といえば、戦いの前に一度、アラーへの祈りの儀式をするくだりと、渡された大剣がでかすぎ重すぎってんで鍛冶屋で無理やりけずってシミター(アラブ風の反りのある三日月刀)にしてしまうくらいで、それ以外は"一人の男"にすぎない。
もう一度引き合いに出してしまうが、「七人の侍」との大きな違いは、「一人の主人公の視点」で描かれてることで、冒頭もアハメッドのモノローグで始まり、ラストも彼のモノローグで締めくくられる。これについては徹底されており、主人公の目線のカメラワークがとても多く、また主人公がいない環境、主人公が知り得ない事柄なども一切描かれない。
たとえば「一方、こちらでは・・・・」みたいな、主人公不在のシークエンスが皆無で、そこはすごい徹底している。
後半、敵に追われて逃げるシーンで、重傷を負った一人が「行け! 俺がここで食い止める」的な展開があるのだが、娯楽作品だとその人間の最後の死闘ぶりを描いてしまったりするわけだが、それもやらない。なぜなら、そこに主人公は存在しないからだ。
主人公中心に関する撮り方としては、感心してしまった。
ところが、この主人公の目的があやふやなので、スコーンと作品に一本道が通らないのである。
そもそもアハメッドは、故郷で詩人を職業とする幸せな男だったのだが(冒頭のモノローグで、本人も幸せだと言っている)、ある人妻に惹かれてしまったため、その夫の手回しで北欧への大使として左遷させれたのである。
その先では新しい盟主が誕生しており、その故郷の村(といってもそこにも王がおり、小さな君主制部落)が蛮族に襲われているということで、巫女の占いで13人の戦士が必要、という運びになる。
で、なぜか13人目は「北の人間であってはならない」ということで、アハメッドにみんなの目が向けられ、アハメッドが「え? 俺?」となるのだが、シーンはそこで一旦切られ、翌朝にはもう他の12人の戦士たちと出発するアハメッドがいる。
アハメッドは詩人ということもあり、北欧風の剣すらまともに扱えないただの大使なのだが(それも無理やり任命されたわけで)、そんな彼がなぜそんな危険な任務を引き受けたのかという理由は描かれていない。
無理やり見つけるとすれば、それは、「アントニオ・バンデラスだから」という他ない(笑)
こういうあたりが脚本の妙で、こういうところでほんとにちょっとした理由付けをしてあげるだけでぐっと後半へのエネルギーが変わる。それは、特に観客にとってということだ。
なにも重く思い悩んだり、一大決心する必要はない。
村が襲撃されているので助けて欲しい、というのを報告しにきた使者が村の王族の少年なのだが、アハメッドが一瞬でも彼と目を合わす、とかでも全然かまわないのだ。
アハメッドはそれまで通訳を介して出来事を解釈し、北欧の地において起こる事柄には完全な第三者目線なのだが、アハメッドがいつ、どのようにしてこの物語を自分のものにするか、というのが重要なのだと思う。
これは明らかに娯楽作品なので、そういう部分をもっとわかりやすくきちんと観客に渡すだけで、興業大惨敗を極力減らせただろう。
・アハメッドの目的と、その目的意識の芽生えるきっかけ
・アハメッドと北欧人の絆の生まれる過程と、その絆による恩恵
・村を救ったことによって、アハメッドがなにを得たか
特にこれらがはっきりとしていたら、そこそこ見られるものになっていたと思う。
あと、強いて言えば、絵が非常に暗く、ディティールがわかりづらい部分も多いのがネックだとも思う。
最近のやたら明るすぎる絵もちょっとあれだけど、ストレスになるような暗さは一般向けではないし、莫大な制作費の回収を考えたらもっとライトアップするべきだったろう。
ジョン・マクティアナンが監督する、というのが最良だったかも疑わしい。
この人は縦横無尽に動くシチュエーションに強く、また、キャラクターが目的へ向かうという、単純明快なモンタージュ作りが得意なので、「とにかく迫力ありますよ」みたいな映画にあてはめても全然ダメだと思う。
というか、まったくマクティアナンのやる気が感じられなかった。すごく雑なのだ。
「七人の侍」は、「勝ったのは侍ではなく、百姓」というすごいテーマとは裏腹に、結構コメディ要素がちりばめられていて、尺は長いが一般大衆向けに作られている。
だけどこの「13ウォーリアーズ」は、いまひとつターゲットがわかりにくい。指定が入りそうな残虐な絵がある一方、性的なシーンは皆無で、愉快なシーンもない。
カップルで観てもまず盛り上がらないのは必至の内容だし、家族そろってというのも論外。たぶん一番わかりやすいのが、「男一人で観る」感じなんだけど・・・・それじゃあ回収できないでしょう。
もしこの作品が本当に「七人の侍」にインスパイアされていたとしたら、まず菊千代を研究するべきだったかも知れないなあ。
であであ。
ちなみに、このブログのPC版サイトの背景には、ある波形があしらってありますが、この波形は「七人の侍のテーマ」のサビ部分だったりする。
タグ:13ウォーリアーズ
ロレックスの専売店で“混じるのが良い” 何度も、ずっと断固としておりることができなかった 心は16万ユーロ使ってそれらの注文して作らせる陀はずみ車を買いにきます:でも、私は自分がシャネルを持って使って相手のチップの製造するJl2を愛することに喜びます Calbre 3125。そのうわべの中で流行してスーパーコピー