この連休は、みっちり仕事になるか、すっきりガラ空きとなるか、どちらかの両極端が予想されたので、ハラハラした。
結果的にガラ空きとなったので、安心して出かけることができましたん。
さて、「ザ・ホード -死霊の大群-」を封切り初日に観てきました。
当ブログでの、2回目の映画レビューがまたゾンビものという....
現時点では、都内では渋谷Nシアターでのみの単館上映という、マイナー路線です。
なにかこう、「なんにも考えずにただ楽しめるバカっぽい映画」が観たい気分になり、実際は「プレデターズ」鑑賞を予定していた。
ロバート・ロドリゲスが製作総指揮っつーことで、どんなんかな〜って感じだったのだけど....
Webでこの「ザ・ホード」を見つけてしまってから少し気になっちゃって、こっちにしちゃいました。
これ決めた決定打は、この作品の監督のこのコメント。
「けた外れのクレイジーさ。アメリカ人には泣いてもらうよ」
ゾンビ映画といえばアメリカが本場。監督曰く、巨匠ロメロの重圧はなかったという。
フランス映画でございます。ヨーロッパのゾンビものは珍しいですね。
ヨーロピアン・ゾンビはすでに、イギリスの「28週後」という傑作の前例があるので、負けず嫌いのフランスはがんばってくれると思うんですが。
まず、いきなり結果を言うと、「サバイバル・オブ・ザ・デッド」より面白かった。
フランスらしいウェット感漂う、冒頭のドラマ導入部分からしてゾンビものとしては異色だったのだけど、そのドラマパートは結局、エンディングのシークエンスへとちゃんとつながっていく。
あらすじにある通り、ギャングのアジトに警官のチームが踏み込むが、そのビルをゾンビに囲まれてしまう、というシチュエーション。
しかし、バックグラウンドは単純じゃない。警官側には不倫だのなんだのと、いろいろと複雑なしがらみがあり、この「踏み込み」も逮捕のためではなく、殺された同僚の復讐で、ギャングたちを殺すためだ。よって、警官なのに覆面して乗り込む。
つまり、善人が出てこないw
ギャング側のボスはアフリカ系なのだが、西アフリカはフランス領だったので、かえってリアルだった。
ゾンビ作品というのは大抵、ロメロほどの認知されたスタンダード世界観でないかぎり、「なぜ、どのように」ゾンビが発生して拡大するか、というのを冒頭に描き込む。
「Dawn Of The Dead」のリメイク版は、そのへんをとてもスピーディかつ、恐ろしく描くのに成功している例だけど、この「ザ・ホード」は、そういう「過程」をまったく描かないという思い切りの良さがすごいw
警官たちがギャング側と接触した時にはすでにゾンビストームは起きていて、気がついたらすでに外界はゾンビにあふれているのだw
こう書くと、「そんなの納得いかねえなw」と思う人もいるだろうけど、確かに強引ではあるが、観ている分には全く問題ない。なぜならそれは、ストーリーとは関係ない部分だからだ。
作品としては明らかにホラー・アクションで、弾薬も相当消費するが、肉弾戦もしつこいくらい描かれる。ここまでゾンビと素手で格闘してみせる作品は、他に記憶にない。
ゾンビそのものは、過去にいろいろと描かれたゾンビ史上の中でも最も強力な部類で、非常にタフ。
ロメロのようなゾンビであれば、それが溢れる社会になったとしても、こんな僕でもうまくやれば生き延びられるかな、などと頭をかすめることができるが、この作品のゾンビ社会は無理だ。たぶん、一日もたないだろうw
最後までおもしろおかしく観ることができたし、一緒に観た人間も「面白かった!」と満足だったのだが、あともうひとつ足りない感があるのはなんだろうか。
ロメロの「サバイバル・オブ・ザ・デッド」も物足りない感が強い。
この「ザ・ホード」が「サバイバル〜」より優っている点は、登場キャラクターがそれぞれ「たって」いるところだが、それでも観客は、キャラクターたちの誰にも味方できないし、共感もできない。
つまり、彼らにゾンビが忍び寄っても、あまりハラハラしないのだ。キャラクターたちの行末を心配する観客はある意味、ひとりもいない。
これじゃあだめだw
「サバイバル〜」もおんなじで、キャラクターたちは観客にとって、行動を眺める対象でしかなく、感情移入というものはなかなかできない。共感できる考えも行動も見られないからだ。
こういう、「生死」にかかわるストーリーは、キャラクターが重要なんだなと思う。
もう15年くらい前、自分のホームページで、「シネマ・シャーロック」という、遊びページをやっていて、こんな記事を掲載していたのだけど、ここでは暗に、ホラーはキャラクターが命と訴えている。(映画なんてのはそもそも、そうなんだけど)
この記事は、「13日の金曜日 ジェイソンX」が公開された際、配給のギャガ・コミュニケーションズから、公式サイトへの引用の依頼がきて、このコンテンツがまるまる使用された経緯があるw
試写会にもご招待いただいたのだけど....そのギャガ・コミュニケーションも今はないんだね.....
横スクロールという、ひねくれたページ構成で読みにくいのだけど、ホラー好きの人は読んでみてくださいw てか、懐かしいなこのページ....w
さておき、たとえばこないだヒットした「アバター」に我々が感動できるのは、キャラクターたちに共感しているからだ。パンドラの異星人でも、我々は共感できるのだ。
ロメロの作品でも、特に人気の高い「Dawn Of The Dead」は、なによりキャラクターに魅力があった。彼らの行動はすべてが正しいわけではないが、人間臭く、そして彼らの感情は手に取るように伝わり、観客が一緒に旅をするに足りる、充分なプロットがあった。
だから彼らが一体どうなるのか、どういう運命をたどるのか、観客は最後まで見届けたいと思う。
「ザ・ホード」にはなかなかそれがない。というか、最近のホラーはどれも、そこが希薄がする。ただ、暴れ、戦い、殺し、死んで、もしくは生きのびるだけだ。
観客にとって、「死んではならない人物」という構築が希薄で、むしろ、「さて、こいつはどんな死に方するだろう」という目で見てしまう連中ばかりだ。
名作の「エルム街の悪夢」がリメイクされたようで、ちょっと楽しみなのだけど、この作品も、主人公であるナンシーが「死んでもいいや」というキャラクターなら、ちっとも面白くない。それを狙うフレディも恐ろしくもない。
ナンシーは当時、「ただ悲鳴をあげて追いかけられるホラーの女性像」を脱してみせたキャラクターのひとつだった。ナンシーは「不思議の国のアリス」のように、悪夢の中さまよい、翻弄されるのだが、結果的に自ら悪夢の中へと入り込み、フレディと対決することを選択する。
「アバター」といえば、キャメロンが「エイリアン2」を製作する際、名作である「エイリアン」を越えることはできないだろうとまわりは思っていたが、結果的に大ヒットを得て、「続編はヒットしないジンクス」を破った。
「エイリアン2」もSFホラーと言っていい作品だが、これが成功した一番の要素は、脚本の時点で主人公であるリプリーをきちんと練り上げ、そしてしつこいくらいに丁寧に描いたからだと、僕は思っている。
・リプリーの、過去(前作)のトラウマとの葛藤
・前作より決断力と行動力の増したリプリー
・ニュートとの、「新しい親子的絆」
これらのプロットがなかったら、ラストの15分にあれほど引きつけられるだろうか?
まあ、これらはハリウッド的、といえばハリウッド的なんだけど、手法がどうであれ、せっかく1800円だかを出して、2時間近く拘束されるのだから、どうせなら人々は魅力あるキャラクターと冒険をしたいと思っている。
フランス映画といえば、古い作品だが、「ニキータ」という名作がある。
ニキータは不良娘で、警官も殺すし、ひねくれてて、一見、観客は(特に日本人は)なじめないキャラクターに見える。冒頭から取っている行動も言動もすべて、観客はまだ共感できない。
だけど、観客がニキータに完全に感情移入するプロットが、映画が始まってから30分前後にやってくる。
ニキータが訓練所を卒業だと言われ、チェッキー・カリョ演じるエージェントにディナーに連れていってもらうシーンだ。そこでニキータはプレゼントを渡される。
ニキータが喜んで開けるのだが....このあと、非常にクールな、有名な銃撃戦のシーンとなる。
このときの、ベッソン監督によるニキータの感情の描き方が素晴らしく、また、銃撃戦におけるニキータの感情も恐ろしいほど細かく描きこまれている。
これで観客はその後のニキータの運命を追わずにはいられなくなる。
「ザ・ホード」は、惜しいキャラクターはいろいろ登場する。
ただ、観客に強く訴えかけるプロットも、シークエンスもなかなか顔を出さない。
ギャングのボスは冷酷だが、唯一、正常な人間のように描かれる。彼は「祖国」でのトラウマを背負っており、たまにそのことを口にするのだが、それに裏打ちされた行動らしい行動、もしくはストーリーを作らない。
警官側といえば、主人公に見えるウエスは、どこか観察者・傍観者な立場にあって、中盤まで自己主張らしい自己主張をしない。彼自身の選択による行動はあまりなく、ギャング襲撃も乗り気でなかった様子にさえ見える。
彼が動き出すのは、ゾンビに囲まれてしまっていると気づいてからで、生き延びるためにギャングと手を組むことを決断する。
しかし、この時にはもう手遅れで、観客は彼が生き残ってほしいとはあまり思っていない。
だから、彼の壮絶なラストは見ごたえと迫力には満ちているが、観客の心のなかには生き残るところまでいかない。
クロード・ペロン演じる女警官は、最も行動に(生き残る、という以外の)理由づけがされている人物で、カンのいい観客は、彼女を眺めるようになる。
僕は、思い切って、ほとんど彼女の視点で作品を作ってしまった方が良かったのではと思っている。そうすると、同僚も、ギャング側も、より浮き上がってきただろう。
なぜなら、彼女が唯一、両方と向き合わなければならない強い要素を持っていたからだ。
ちょっとアラつつきみたいになってしまったけど、「ザ・ホード」は97分というちょうどいい尺で、スピーディかつ、そこそこ重厚な演出で楽しませてくれるホラーだ。
ゾンビ好きはチェックしておいていいと思う。
最後にもうひとつリクエストするとしたら、音楽かな〜。
いいホラーってのは必ず、印象深い音楽も持ちあわている。ゾンビものなら「Down Of The Dead」のゴブリン、それと個人的には「Day Of THe Dead」のジョン・ハリソンも忘れられない。
特にラストで、ソウルっぽい曲を使っていたのは......いただけなかったかな〜w
2010年07月21日
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Posted by スーパーコピーロレックス at 2014年05月10日 15:50
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