3回目の鑑賞です。
さすがに3D上映ではなくなってました。
も〜、アラがありませんね〜
2回目までは、感動・興奮・圧倒、という感じだったのですが、3回目の今日は最後に泣いてしまいました。
マイケル・ケインの最後の最後のアップがものすごく神がかってる。
もう一回くらい観たいねw
2012年08月24日
新宿梁山泊 「百年 風の仲間たち」観劇
お芝居の観劇が今年になって続いてるなあ。こうなるとこのブログでカテゴリ分けしてもよさそうだ。「日記」ってのもねえ...
さて、やはり去年の青果鹿の芝居でご一緒した「島さん」こと島本和人さんが出演ということで出撃。島さんは僕のお兄さん役でした!!
てかねえ....島さんは同世代ということもあり、話してると楽しくてしょうがないんだよな!! だからお会いできるのを楽しみに行って参りました!
老舗の新宿梁山泊ですが、公演は初見です。
シンプルに説明してしまうと、大阪のコリアンタウンの「在日朝鮮人」の人々が描かれる作品。
僕は在日はもちろん、韓国人の知り合いも多いし、僕自身も韓国語勉強したりした時期もあったりして、一般の人よりかはこの手の内容には歴史的にも情報的にも造詣があるつもりです。
そういう視点からは、あまり新鮮だとか目新しいというものは特にはなく、手法などもとても古典的だったのですが、それでかえってすんなり鑑賞できるというところに落ちつけました。
ただ、「音楽劇」とも言えるくらいキャストが生演奏して歌ったり動いたりするという、このどえらい趣向には圧倒されましたよ!
特に劇中に出てくる「百年節」(だったかな)は、耳からまだ離れませんw
2時間10分というこってりの尺に、これでもかと熱い「恨(ハン)」が彩られていきます。
この朝鮮人の「恨(ハン)」という情緒は、劇中でもちょっと説明されているけども、日本人に理解させるのはちょっと難しい。
これは西洋人に日本人の「忍」や「誠」、「和」などを理解させるのがすんなりいかないのにも似ている。
「恨み」の「恨」という字が宛がられているが、単純に「恨み」という感情と関係があるわけではない。
また、ここで安易に僕のような者がこういうものだと説明するものでもない。これは知るべき人が自分で知るべきことでもある。
ただ、この「恨」を理解しようとしない限り、「最も近くて最も遠い隣人」を理解する道のりはやや遠くなる。
「在日」に関してだが、すでに現代は三世・四世という世代になってきているため、今や在日のアイデンティティやその視点はひと昔前よりもはるかに多様化している。
そういう意味では、この作品で主張される(もしくは描かれる)在日のアイデンティティは、あまりにもオーソドックスすぎるというか、よくも悪くも「原点的すぎる」と感じる。もちろん、「リアル」な人たちが作と演出をしているのだから、「リアル」なのは間違いない。
しかし、一世代前の感覚に見えるのは拭えない。
こういう「おさらい的」なものは、こういった情報にうとい日本人には価値があるのかも知れないが、今この時代にきて出会うものがここ止まりなら、それはそれでちょっと不幸だ。
たしかに「あの頃は・・・・」というのも大事だが、その積み重ねでまた新しい世代の在日のアイデンティティというのが生まれてきており、そしてまたその世代特有の現代的葛藤というものがある。しかし、なぜか長老たちはその若い世代に自分たちの古い葛藤をそのまま継承したがるもので、これはどういうわけか朝鮮人特有のものだ。(いや、民族にかぎらず、先人というのはそういうものかも知れないが)
これはとても先祖を敬ったり、儒教や家長制度、その他もろもろの朝鮮民族ならではの性のようなものなのかも知れないが、若い世代はさすがにそろそろそういうものに耳を貸さなくなってきている。
年寄りが言っていることは結局は愚痴なようなものにすぎないとまで感じる世代もいるわけで、彼らは場合によっては「帰化」もいとわない。
そしてそれも、現代の在日の一面のひとつでもある。要は「これからどう生きるか」が問題なわけで、それに対してどういう生き様をチョイスしていくか、というのがこれから見てみたいファクターだ。
そういう意味で、今回の作品が「原点」だとしたら、「その次」というものがいつどう扱われるか。そしてそういったものを新宿梁山泊が実際に料理するか、それは僕にはわからない。
劇中、「自分は大阪人」と言う在日の人が出てくるが、このセリフが単なるセリフではなく、物語によって描かれたなら、これ以上のものはないだろうし、そういうものなら見てみたい。
島さんがかっちょよくギターリフをかましていたのには驚いた!! 鳥肌たった〜(>_<)
これも大きな収穫のひとつです!!
帰りに島さんとちょっと一杯。久しぶり(一年ぶり)でしたが、楽しかったわ〜w
島さんがご自身による次への作品づくりに意欲を燃やしていたので、楽しみです!!!
さて、やはり去年の青果鹿の芝居でご一緒した「島さん」こと島本和人さんが出演ということで出撃。島さんは僕のお兄さん役でした!!
てかねえ....島さんは同世代ということもあり、話してると楽しくてしょうがないんだよな!! だからお会いできるのを楽しみに行って参りました!
老舗の新宿梁山泊ですが、公演は初見です。
シンプルに説明してしまうと、大阪のコリアンタウンの「在日朝鮮人」の人々が描かれる作品。
僕は在日はもちろん、韓国人の知り合いも多いし、僕自身も韓国語勉強したりした時期もあったりして、一般の人よりかはこの手の内容には歴史的にも情報的にも造詣があるつもりです。
そういう視点からは、あまり新鮮だとか目新しいというものは特にはなく、手法などもとても古典的だったのですが、それでかえってすんなり鑑賞できるというところに落ちつけました。
ただ、「音楽劇」とも言えるくらいキャストが生演奏して歌ったり動いたりするという、このどえらい趣向には圧倒されましたよ!
特に劇中に出てくる「百年節」(だったかな)は、耳からまだ離れませんw
2時間10分というこってりの尺に、これでもかと熱い「恨(ハン)」が彩られていきます。
この朝鮮人の「恨(ハン)」という情緒は、劇中でもちょっと説明されているけども、日本人に理解させるのはちょっと難しい。
これは西洋人に日本人の「忍」や「誠」、「和」などを理解させるのがすんなりいかないのにも似ている。
「恨み」の「恨」という字が宛がられているが、単純に「恨み」という感情と関係があるわけではない。
また、ここで安易に僕のような者がこういうものだと説明するものでもない。これは知るべき人が自分で知るべきことでもある。
ただ、この「恨」を理解しようとしない限り、「最も近くて最も遠い隣人」を理解する道のりはやや遠くなる。
「在日」に関してだが、すでに現代は三世・四世という世代になってきているため、今や在日のアイデンティティやその視点はひと昔前よりもはるかに多様化している。
そういう意味では、この作品で主張される(もしくは描かれる)在日のアイデンティティは、あまりにもオーソドックスすぎるというか、よくも悪くも「原点的すぎる」と感じる。もちろん、「リアル」な人たちが作と演出をしているのだから、「リアル」なのは間違いない。
しかし、一世代前の感覚に見えるのは拭えない。
こういう「おさらい的」なものは、こういった情報にうとい日本人には価値があるのかも知れないが、今この時代にきて出会うものがここ止まりなら、それはそれでちょっと不幸だ。
たしかに「あの頃は・・・・」というのも大事だが、その積み重ねでまた新しい世代の在日のアイデンティティというのが生まれてきており、そしてまたその世代特有の現代的葛藤というものがある。しかし、なぜか長老たちはその若い世代に自分たちの古い葛藤をそのまま継承したがるもので、これはどういうわけか朝鮮人特有のものだ。(いや、民族にかぎらず、先人というのはそういうものかも知れないが)
これはとても先祖を敬ったり、儒教や家長制度、その他もろもろの朝鮮民族ならではの性のようなものなのかも知れないが、若い世代はさすがにそろそろそういうものに耳を貸さなくなってきている。
年寄りが言っていることは結局は愚痴なようなものにすぎないとまで感じる世代もいるわけで、彼らは場合によっては「帰化」もいとわない。
そしてそれも、現代の在日の一面のひとつでもある。要は「これからどう生きるか」が問題なわけで、それに対してどういう生き様をチョイスしていくか、というのがこれから見てみたいファクターだ。
そういう意味で、今回の作品が「原点」だとしたら、「その次」というものがいつどう扱われるか。そしてそういったものを新宿梁山泊が実際に料理するか、それは僕にはわからない。
劇中、「自分は大阪人」と言う在日の人が出てくるが、このセリフが単なるセリフではなく、物語によって描かれたなら、これ以上のものはないだろうし、そういうものなら見てみたい。
島さんがかっちょよくギターリフをかましていたのには驚いた!! 鳥肌たった〜(>_<)
これも大きな収穫のひとつです!!
帰りに島さんとちょっと一杯。久しぶり(一年ぶり)でしたが、楽しかったわ〜w
島さんがご自身による次への作品づくりに意欲を燃やしていたので、楽しみです!!!