2012年07月22日

戦国自衛隊1549

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戦国自衛隊1549

監督 : 手塚昌明
出演 : 江口洋介  鈴木京香  生瀬勝久  嶋 大輔  綾瀬はるか  北村一輝  伊武雅刀  鹿賀丈史

ここのところ、邦画がつづいています。
先日の「日本映画も大変なんです」を書いたせいか、もっと観てみようという気にもなっているんですが、「だったらもっと他にあるだろう」と言いたくなる人もいるかも知れません。

たしかにこの作品、観た人たちからことごとく「ひどい」と脅されていたため、手が出せずにいたんですね。
それでも「角川グループ60週年記念作品」ですよ? 遅まきながらですが、やっぱり押さえておかないと。

「日本映画も大変なんです」でもちょっと書いた、アスミック・エース主催のワークショップに参加した際、この作品のプロデューサーである角川の黒井和男さんと名刺交換させていただいたことがあるんです。その時、「戦国自衛隊のリメイクをやっててねえ」とおっしゃってまして、内心「なんですと!!!」と興奮したのを覚えています。

1979年版の「戦国自衛隊」は、半村 良のSF小説を原作としており、演習中に戦国時代にタイムスリップしてしまった一個中隊が、生き残りを賭けて武田信玄と戦争、破滅に至るまでを描いています。

主演が千葉真一さんで、まあとにかく、むせかえるようなエネルギーに満ちた作品です。当時の製作であった角川春樹氏の意向かどうかわかりませんが、(まあ、あの頃の角川映画はみんなその風潮がありましたが)青春群像劇というスタイルで作られ、当時としてはがんばったアクション映画。今見るとちょっと泥臭く、冗長な面もあるんですが、当時はものすごい衝撃を感じました。

で、この平成版「戦国自衛隊1549」ですが、リメイクというよりかはスピンオフのような感じです。前作とはなんのつながりもなく、オリジナルストーリーとなっています。
この作品は興行的には大成功で、海外配給もされたと聞いています(ほんとかどうかは未確認です)。


自衛隊における磁場実験の事故で、「第3実験中隊」が戦国時代へとタイムスリップしてしまう。二年後、元自衛官だった鹿島(江口洋介)をオブザーバーに迎えた「ロメオ隊」が、事故を再現して実験中隊の救出に向かう。しかし、実験中隊の指揮官であった的場(鹿賀丈史)は、織田信長を討ち、自らを信長と称して尾張を平定し、斎藤道三をも従えていた。さらに日本の歴史を変えるべく、プラズマ装置の電池を起爆剤とした富士山噴火による、関東一帯のジェノサイドを起こそうとしている。
それを阻止せんとするロメオ隊と、実験中隊率いる信長軍が衝突する。


まず、この製作側の上手いところは、そのマーケティング。保守的といえば保守的になってしまうのですが、主要ターゲットが明らかに「中高生・もしくはファミリー層」です。実際、映画館に詰めかけたはその層でした。これによって動員の滑り出しも好調でした。
前作はレイプシーンがあったりし、女性の股間にぼかしが入るといった場面すらあったのとは対照的です。

戦国時代にタイムスリップした自衛隊が死闘を繰り広げる、といったような内容を、その手の層向けに製作する、という考えはなにげにコロンブスの卵です。これをもっと大人向けの作品として配給するとなると、ハードルが高くなります。間違いなく、予算ももっとかかりますし、動員的にもリスクが跳ね上がります。穿った見方をすれば、それを回避したとも見えます。


実際、この作品は大人の目の鑑賞に耐えられるものにはなっていません。
もちろん、それを目指してなかったわけですから、仕方ないんですが。

つまり、この作品が位置するところは、「ゴジラvs◯◯」みたいな、あのあたりだということです。(ちなみに監督の手塚さんは平成ゴジラ監督の雄です)
ところが、「角川グループ60週年記念作品」を冠するというのもあり、「おっ、やっと日本映画も本気になったか」とか思っちゃった人たちも多かったわけです。特に前作で興奮した世代はまさか「ここまでお子様向け」とは思ってないので、そんなつもりでいくと、ずっこけてしまうわけです。


しかし、製作側のこの選択と戦略は、商業的には正解だったのは間違いありません。だけど僕から言わせれば、「大勝負を避けた」という感が拭えません。

興業で勝って、作品で負けたという感じです。「角川グループ60週年記念作品」でありながら、後年に残るものにはなっていないのは明らかです。
この作品に出演した俳優(もしくはスタッフ)のうち一人でも、誰かの代表作になるなどということもなく、なにかの手本にもならず、誰かの尊敬や愛を受けることも、今後おそらくないでしょう。

まあさておき、ですからそこそこ目の肥えた映画ファンたちがこの作品をつかまえて「ひどかった」というのは、少々的はずれなのかも知れません。
「ウルトラマン◯◯大決戦」みたいな劇場作品をオッサンが観に行って、「子供だましだ」なんて息巻いてても、「はいはいw」なわけで。


そんなわけで、やはりもういいオッサンの僕がこれについてあれこれレビューするのもなんなんですが、せっかくですのでいくらか進めましょう。

俳優の芝居は全体的にやはりマンガじみていて、誰もがアニメの吹き替えのようなしゃべりで進んでいきます。そんな中、嶋 大輔さんが良かった。余計な力の入ってない演技で、その時に必要なものを大事にして演じてる感じでした。

テーマは「未来は人々の希望」というもの。なんでこんなにはっきり僕が言えるかというと、劇中にキャラクターがはっきりセリフで言っちゃうからなんですが・・・・ただ、この手合いのことを戦国時代の人間に説得力持たせて言わせるのは、ちょっとやはり大変なんだなと思いました。

これは中世が舞台なわけですが、それを信じられる絵にはなかなかなっておらず、戦国時代の人間も、平成の人間がカツラかぶってるようにしか見えません。最近、白土三平の「カムイ外伝」とかたまに読み進めてるんですが、第二部からのあの説得力はすごいですね。あの時代へ連れて行かれます。
そんなたった一人の作家がペンとケント紙だけで構築している世界に、何百人というスタッフと10億円をかけた作品が絵作りですでに負けているのです。

ああ、いかん、そうだ、こういうことを言ってはいけない映画でした。あれでよかったのかも知れませんね。
黒澤や小林正樹みたいな絵になっちゃいかんわけです。そういう映画じゃないわけです。うん。


いいことも書きましょう。


前作との大きな違いに、自衛隊が全面協力しているという点があります。おそらく、これまでにもっとも自衛隊が協力しまくった映画ではないかなと思います。本物の兵器車両がこれでもかと贅沢に使われており、ヒューイコブラや90式戦車があれほど肉薄して駆けまわるシーンは、ちょっとレアです。
レアといえば、OH-1偵察ヘリの飛行シーンも貴重です。これは日本製の高性能第三世代偵察ヘリで、噂でしか聞いてなかったので興味深く見ました。
うーん、マニアックですいません。

他には・・・まあ、こんなところかな。



「戦国時代」、というと、こう、浪漫あふれるというか、戦国武将たちの熱い群雄割拠に胸踊らせる人もいると思いますし、だからこそ映画や大河ドラマの背景になったりもするんでしょうけど・・・・実は僕はあまりそういうふうには見れてないんですね。
天邪鬼なのかも知れませんが、なんかこう、冷めて見てしまいます。というのも、戦国時代ってのは調べれば調べるほど、知れば知るほど、「どうしようもない時代」だったなという印象になるわけです。

大河とか、どの戦国武将も「この世の平安のため云々・・・」って言いますがね、でも本質的には暴力団の抗争となんら変わらないわけでしょう。もう構造からして。僕からしたら、戦国時代の大名なんてヤクザの親分と変わりませんもの。

たとえばヤクザの世界では、彫り物を体に入れたりしますね。あれってのはまあ、いろいろ意味もあるのですが、シンプルに言うと「この世界で生きていく覚悟」の表れでもあって、「この世界を離れませんよ。裏切りませんよ」という証でもあるわけです。なんでこういうのが重要視されるかというと、あの世界というのは古くから社会的には弱者の領域、危うい世界だったわけで、それだからこそ結束しなければ成り立たないわけです。
だから簡単に抜けられたり、裏切られたりしちゃ身がもたないので、互いの「覚悟」、己を「覚悟」を体現化し、盃を固めてその約束としたり、互いを親兄弟とまで呼ぶようなシステムにもなっていく。

戦国武将の世界も遠からずで、一人でも裏切り者出ちゃうと大変な世界。
月代といって、武士が額から頭のてっぺんまで剃り上げますでしょう。あれは、ああすると兜がすべりにくくなるというのと、蒸れなくてすむという単なる知恵だったのが、それを戦のない日常でも剃ることによって「日頃から、いつでも戦に出る覚悟がある」という表れとなり、そこから「主君への忠義の証」という認識へと昇華して、武士のたしなみとなったんですね。

ですから、乱暴な話、彫り物も月代も似たような精神構造で成り立っているとも言えます。「義」や「仁義」を重んじるのもおなじです。なにかあれば腹切るだの、指詰めるだのってのも、おんなじです。
それは危うい世界であり、ちょっとしたことが命に直結するからでして、明日の飯がかかっているからなんです。


飯、といえば、いつだったか面白い研究内容をネットで見たことがありました。
それは、「なぜ戦国時代が到来したのか」という疑問に、新しい見解を投げかけるものでした。この疑問に関しては、専門家に問えば「えー、まず応仁の乱がありましてェー・・・云々」とかになるのかも知れませんが、しかし「なぜこんな限られた国内の中で、あそこまで長いこと揉めなきゃならんかったのか」というのは、なかなか専門家も説明がつきません。

実は調べてみると、あの頃の地球は世界規模で寒冷化の時期に入ったらしいのです。これは、屋久杉の年輪などから証拠が出てくるそうなんですが、これによって、世界が慢性的な食料不足に陥っていた、というのです。
日本各地に豪族がいたわけですが、みんな食べるのにも苦労していたと。たとえば上杉謙信は関東管領という身でありながら、秋入りになるとしばしば近隣の領地へ食料強奪に行っています。

ということは・・・え? 要は、戦国時代ってのは生き残りをかけた食料強奪戦だったの??
いやまあ、そこまで単純ではないとは思いますが、根深い原因としては横たわっていたのかも知れませんね。でなきゃ、さすがにあそこまで死人出してやらんでしょう? まかりなりにも朝廷がいて、どうしてあれだけみんなが上洛だの天下だの目指さなきゃならないの。
武士の給料が「◯人扶持」って米で支払われ、大名の勢力を「◯万石」などと、その領地で取れる米の石高で表しちゃったりするようになるというのも、なんか説得力が出てきます。

まあ、真偽のほどはわかりませんが、なんにしろ今や時代小説や大河ドラマがやたらとあの頃をドラマチックにしてしまったため、こういう見方はちょっとドライすぎるかも知れませんねw


やはり現代人にとって、歴史とは浪漫のあるものであって欲しいわけですが・・・この「戦国自衛隊1549」、この際だからその浪漫ともっと本気で戯れてほしかったですね。


posted by ORICHALCON at 02:33| Comment(1) | TrackBack(0) | Cinema