2012年07月20日
ギターを持った渡り鳥
ギターを持った渡り鳥
監督 : 齋藤武市
出演 : 小林 旭 浅丘ルリ子 宍戸 錠 金子信雄
Huluにおいて、何を観ようかだいぶ迷うようになってきた。というのも、「面白そうでハズレなさそう」というものは大体とっくの昔に観てるからで、ずいぶん食指の動かないものばかりになってきた。ここしばらくこのブログで紹介している映画も、もしレンタル屋へ行ってたら借りてないだろうなというものも多い。やはりさすがにこの手のインターネットサービスではラインナップに限界があるのかも知れない。
まあ愚痴はさておいて、やってまいりました「ギターを持った渡り鳥」。
主演の小林 旭は、僕の母が青春時代に熱狂したというアイドルである。そらもう、雑誌だろうがなんだろうが、彼の顔写真はなんでも切り抜いて大事にしていたという。顔を見る度に卒倒しそうになったというからおだやかでない。
うら若き日の母を、そこまで骨抜きにした小林 旭。どんなだったんだろうと、後学のためも含めて(なんと邪な理由だろうか)、鑑賞に踏み切ってみることに。
いわゆる当時のアイドル映画なわけでして、今でいう「ガンツ」とか? あんな感じ? ちがう? 最近のよくわかんないごめん。
さておき、この作品はご存知の方もある通り大ヒットして、「渡り鳥シリーズ」として人気を博します。「無国籍アクション」なる言葉を生み出したのもこれ。あの、快傑ズバッドの早川 健のモデルにもなっているというからには・・・期待できます。
そう、良い意味でツッコミどころ満載の、ツーンと鼻にくるような、バタくさい娯楽作を期待しておりました。
ところが・・・・なんて物静かな、おとなしい映画なんでしょう。これは第一作だからでしょうか?
ギターを抱えた流しの男、滝 伸次が函館の街へたどりつく。夜の街で買った喧嘩の腕と気概を見込まれ、街を牛耳る秋津の世話になることに。しかしそこへ殺し屋ジョージが合流してきたため、元刑事という素性があらわになり、キナ臭い方向に。
秋津の娘の由紀との微妙な男女関係も交えながら、滝は秋津の悪事に対抗していく。
たぶん、「無国籍アクション」という恥知らずなキャッチフレーズは、もっと先のシリーズで構築されたのだろうと思う。
ライバルとなる、宍戸 錠演じるジョージも妙にこざっぱりとしておとなしく、「エースのジョー」に進化するにはまだ時間が必要な感じだった。
ストーリーはあってないような類のものであまり抑揚もなく、とりたてて書くこともありません。
まあとにかく、肝心の小林 旭さん。
「おお、やっぱり若いころはイケメンだったのね〜」とか絶対思わせてくれると思っていたのだけど、最初のアップであれ?
小学校んときにうんこもらした守谷くんじゃん!というのが第一印象。まあそんなのはだれも知らないのでいいんですが、個人的には微妙です。
うーん。
やっぱり微妙だなあ。
こんなはずじゃなかったんだがなあ。
横顔とかはね、なんかこう、シャープでいいんですよ。だけど、前向くとなあ。好みの問題なのかなあこれ。
当時はこういう感じがウケたんでしょうか。
この作品は、今で言うメディアミックスものであり、タイトルと同名の主題歌のリリースも抱きあわせであった。
そしてもちろん、小林 旭は劇中でなにかとあると歌っているのだが・・・・実は歌唱力も微妙なんです。
その上、演技力も微妙・・・・ちょっと待ってくれ!!
別にここにきて、先人たちを笑いものにしようという気は毛頭ないんですよ。せっかくだから楽しもうと、前向きに映画を鑑賞していました。
でも、グッとくるところがひとつもないんですよ!
往年の小林 旭センセにですね、「平成のヒツジ野郎ども、よく見な。男ってのはこういうもんよ」ってな具合に横っツラはたいてくれるもんだと、膝を折って鑑賞せんばかりの気持ちでいましたのに。
当時これが大ヒットして、若き乙女たちの心を掴んだのはなんだったんでしょうかね。
というわけで分析してみましたところ、
・ワルぶってる
・女にストイック
このふたつのキーワードが炙りだされました\(⌒▽⌒)/ヤッタネ
基本的に、石原裕次郎なんかもそうですけど、不良役なんだよね。ポケットに手つっこんで斜に構えて、なにかとあると喧嘩、みたいな。
主人公の滝も、冒頭から30分もしないうちに、3回もドタバタをやっております。
つまりは、まわりの男性に見られない特徴 = 特別感。非日常性。あーんど、こだわり持って生きてる風。
しかし、もし日本中の男性がみんなこんなだったら大変なわけで、たぶん日本は滅亡していたでしょう。
だけどここからが大事。炙りだされたキーワードは「ワル」ではなく、「ワルぶってる」となっています。
そう、女性はほんとの「ワル」はいやなんです。ずるいですね。そもそもほんとの「ワル」ってのは、そのワルぶってる小林 旭に叩きのめされる連中なわけで。
滝の、「元刑事」という素性がわかった時、僕は「なんだ、ワルぶってるだけかこいつ!」と思ったのですが、女性はそういうところがツボなのかも知れません。
つまり、安心できるワル。ずるいですね〜〜〜いやらしいですね〜〜〜〜
「ワルっぽい」のがいいわけだ。酒を渋くあおったり、煙草をくわえたり、時には喧嘩、なんてのはいいけども、パチンコに通ったりフーゾクいったりとかだめなわけです。ずるいな! ずるいな!
また、こういうワルってのは、私生活に関しては不器用に描かれます。はい、母性本能ねらいキタ〜。
ふたつめのキーワード、「女にストイック」。
浅丘ルリ子演ずる、お嬢様との微妙な関係があるんですが、最後にこの二人は結ばれません。
浅丘ルリ子を置いて、滝は函館を去ります。
まあー、ここで落ち着いちゃってねんごろになっちまうと、シリーズになりませんからね。
さておき、「よかった〜ルリ子のものにならなくて〜(女子たちの心の声)」ということであります。
石原裕次郎なんかの場合は、むしろ一人の女を追っかけるパターンです。「いやでもおれのものにするぜ」的な。
こういう場合、観ている女子は、その追っかけられ、アゴをつかまれ、無理やりキスを奪われるヒロインに自分を重ねます。
「イヤよイヤよも好きのうち」という女の深い部分をツンツンさせられます。
しかしこの渡り鳥は、手が届かない(渡り鳥ですから)ゆえに、素直にキャーキャー言いやすい対象として構築されています。
手が届かないといえば、滝は二年前に亡くなった女が忘れられずにいます。ちゃんと「ホレた女に一途」という、「浮気はしないよ」的な要素も埋め込まれています。
つーかまあ、そういうこと? 母よ。
え、ちがう? まあなんだっていーやもう。
秋津、というワルの親玉を金子信雄さんが演じているのですが、この頃はまだ髪の毛もちゃんとあり、芸風もさっぱりとしています。
親玉といってもよくあるようなギャングのボス系ではなく、街の実力者的な、清潔感のあるワル。さっぱりとはしていても、「とんでもないタヌキ」ぶりのルーツは垣間見え、のちのちの「仁義なき戦い」の金子さんへ通ずる遺伝子が感じられます。
殺し屋ジョージの宍戸さんは、悪役をやるために頬にシリコンを入れるという・・・・のちの「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドなんかまだまだ甘いと言わしめる所業をしています。この頬なかったら相当イケメンだろうなと思いますね。小林 旭に勝てるですね。
また、野呂圭介さんが出ています。僕らの世代からしたら、「どっきりカメラ」の赤ヘルの人なんですが、そういや「どっきりカメラ」の司会は宍戸さんだったよなw
浅丘ルリ子さんは、初々しかったですが、「まだまだこれから」の頃。というか、浅丘さん演ずる由紀はキャラクターとしてあまり掘り下げられておらず、浅丘さんほどの才能の人が演ずるにはちと、物足りない役だったかも知れません。
また余談なんですが、作品の性質上、拳銃でバーンバーンみたいなのもあります。で、びっくりしたのが劇中で使われてる拳銃が、本物だということ。
劇用のピストルを「プロップ・ガン」といいますが、日本の場合はモデルガンをベースに作られます。しかし当時はそんなモデルガンなんて市場はまだ成熟してませんから、こうやって本物が「特別な計らい」で使われることもありました。しかしこの黒光りな質感はすごいですね。
でもさすがにいつまでも本物ってわけにもまいりません。これは日活の作品なんですが、日活の拳銃といえば「日活コルト」。劇用の電気着火式ピストルで、これが日活で開発されてからは、こういう作品ではみんなこのコルトを握っていました。
そういう意味ではレアな作品ですねえ。
まあ、いろいろ言いたいこと書いてきましたが、これは先のシリーズ作品の方が楽しめるのかも知れませんね。
この作品は栄えある第一弾なのでしょうけれど、覇気のあまり感じられない、「ご清潔な、活劇らしく振舞っている映画」という感じです。
いくら殴りあっても痛みも汗臭さもなく、血はインクみたいだし、衣装が汚れないように気遣ってるようなアクション。
もしこれで当時の人達が胸躍ったのなら、それは「どんだけ純粋なのw」ということで、そう、今の僕らはずいぶんとナニかに侵食されてしまっているのかも知れません。