2012年07月16日

ガントレット

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ガントレット

監督 : クリント・イーストウッド
出演 : クリント・イーストウッド  ソンドラ・ロック


"ガントレット"と聞いて、かつてのATARIの名作ゲームを思い浮かべる人は、年齢がある程度バレます。
腕につける甲冑を思い浮かべる人は、やはりRPGゲーム好きか、もしくはよほど物知りかということになります。(こちらはフランス語)

本作を思い浮かべる人は、クリント・イーストウッドのファンか、ゴールデン洋画劇場の世代かも知れませんw


そもそもガントレットとは、刑罰の一種です。

中世に行われたガントレット刑の絵
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基本としては、棍棒など武器を持った者たちが囲むように道をつくり、その間を通らせるというもの。もちろんそれなりの攻撃を受けるが、それでも耐えて通りぬけた者は許された、などとWikipediaにはあるが、腕を縛って通らせて、一方的に殺してしまうというのもあったといいます。

ATARIのゲームは、その内容からこのタイトルが使われているが、実はこの作品もそうなんです。

クライマックスに、武装した無数の警官の銃撃の間を突破するというシーンがあります。もちろん、これがこの作品の目玉でもあります。

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この作品はかつて、ゴールデン洋画劇場でよく定期的に放映されていました。再放映が繰り返されるその理由は、まず単純に面白いというのもありますが、オリジナルが100分というちょうどいい尺と、「二人の男女だけを追うロードムービー」という構成のシンプルさゆえ、編集がしやすい(カットしやすい)のです。お色気要素もあり(放送する側にとっては重要)、そしてなにより最後のクライマックスシーンのインパクトがすごいので、この部分だけでTVスポットによる「つかみはOK!」というのがでかいw


僕は録画したゴールデン洋画劇場版を長く所有していましたが、オリジナルをちゃんと観るのはこれが初めてだということに気がついた。


ストーリーとしては・・・

イーストウッド演じるショックリー刑事は、市警察委員長からの密命により、ラスベガスから証人喚問のため、ガス・マリーの護送をすることになる。ガスを男だとばかり思っていたショックリーだが、ラスベガスの留置場にいたのは若い売春婦だった。「ここから出たら私もあなたも殺される」とわめくガス。ショックリーは救急車による偽装でガスを連れ出すが、ガスの言う通り行く先々で猛攻撃を受ける。しかも攻撃してくるのは警察機構だった。


「一人の刑事が一人の女を守るために移動する」というロードムービーシチュエーションは、シルベスター・スタローンの「コブラ」を思い出させますが、そもそも「コブラ」は、スタローンの憧れるクリント・イーストウッドの代表作「ダーティ・ハリー」シリーズを意識して作られました。劇中にも「ダーティ・ハリー」の出演者がオマージュとして二人も出てくるほど。いわば、「ダーティ・ハリー」と「ガントレット」を合成したような感じなんですかね。(ただし、原作としている小説は別にある)


また、この「ガントレット」と「コブラ」はもうひとつ特異な共通点があります。それは、「主演の俳優が自分のオンナ(妻)と出ている」というもの。「ガントレット」はイーストウッド自身が監督、「コブラ」はスタローンが脚本、つまり発言権があるわけで、「この役は俺のオンナにやらせる」といった展開も可能だったのかも知れないですね。

ただ、「コブラ」のブリジッド・ニールセンが演じた女性は、そのキャラクター構築に失敗が見られるのに対し、「ガントレット」の売春婦ガス・マリーは充分、作品の魅力のひとつとなっています。そう、イーストウッドはソンドラ・ロックの使い方をよく知っている。どうすれば彼女が魅力的に使えるかを心得ている。

「コブラ」の時点でスタローンとブリジッド・ニールセンは結婚したばかり(撮影後に離婚する)。イーストウッドとソンドラ・ロックも、一緒に住み始めてまだ一年そこら。でも「女優の扱い方」も含めた映画人としての力量は、この時点ですでにイーストウッドが先を行っていたのかも知れませんね。


先にも書いたように、非常にシンプルな構成で、現代のブラッカイマー作品あたりに慣れた人たちには物足りないかもしれません。
最近は、携帯電話やインターネットの普及なども手伝って、ストーリー展開が早く、複雑さも見せるようになっている。しかし「ガントレット」の背景である70年代は、公衆電話しかない時代。しかもアリゾナという荒野を行くロードムービーなため、複雑になりようがない。

最近の娯楽作品、特にアクション、サスペンスなどと呼ばれるものはいろいろとプロットやエピソードが詰め込まれるカタチになるため、それを上映時間に収めるためのスピード感溢れるカメラワークや、モンタージュ技術が発展してきました。これは「ダイ・ハード」あたりが転機となっていて、模索・構築されてきた結果、「スピード」の大成功で、ある程度成熟を迎えます。つまり、「そういう感じ」が得意な監督が台頭してきたとも言えるわけで、たとえば「ダイ・ハード」の撮影監督であるヤン・デ・ポンは「スピード」の監督です。
「ダイ・ハード」以前のブラッカイマー作品「ビバリーヒルズ・コップ」の作りが、今見るとダラっとして見えるのは、古典的な監督が娯楽作品を撮っているというのも原因のひとつです。


でも、そういう意味でいえば、クリント・イーストウッドは超がつくほど古典寄りの監督です。だけど、世界で誰よりも成功している監督です。


主人公のショックリーは、早くもやや人生に疲れ始めた刑事。冒頭、ジャック・ダニエルの瓶を落として割ってしまうところから、すでに彼の人間描写が始まっています。

長いこと相棒だった同僚は先に出世していますが、ショックリー自身は生きる目的を失いかけています。
ショックリーが、ガスに「警官になった理由」として、「法を守る警官だけが、生きる目的を持っていると思っていたから」と言うシーンがありますが、ショックリーはガスの護送を通して、その警官というものにも失望させられていきます。

しかし、ガスとの出会いが、このショックリーの人生を救い始めます。


ソンドラ・ロックにとって、最もはまり役と言ってもいいガス・マリー。ソンドラ・ロックは彼女を、脚本レベルを超えて魅力的に演じました。
ガスは、大卒女(当時は今よりもステータス)であり、頭もよく、気の強い売春婦ではありますが、完全なダメ人間ではありません。
大学を出ているのに(前の職業は秘書であったりします)売春婦に身を落としているマリーも、やはり人生を見失っていると言えます。


最初は、ガスは警官であるショックリーを、ショックリーは売春婦であるガスを、それぞれ軽蔑しあっています。
しかし、この二人がお互いにつながる瞬間がやってきます。

ショックリーがバイカーの襲撃を受け、リンチに会うところです。縛られて身動きできないショックリーを暴行する男たちを止めるため、ガスは胸をはだけて自分を犯すように誘います。ガスはこれを成功させるのですが、彼女の服をはぎとってむさぼるのに夢中な男たちの隙をついて、ショックリーも反撃を成功させます。

この危機を脱出したあと、傷だらけのショックリーと服の前を合わせたガスが腰を下ろして一息つく、という絵があるですが、ここで二人は言葉が見つからず、ただ目を合わせます。とてもいいシーンです。


ショックリーは、彼女を証人として届けるという任務を遂行するため、運転席を鉄板で補強したバスを使い、裁判の開かれる市庁へ向かいます。この道中、それを阻止するために市警が総出で「ガントレット」を繰り広げるわけですが、このシーンは今見ても圧巻です。


とても素直な映画です。こねくりまわしたりせず、イヤなものはイヤと言い、好きなものは好きと言う、そんな感じの映画です。


こういったことの地道な積み重ねが、今のクリント・イーストウッドを構築しているのだなと思いました。


さっくりと楽しめる作品ですので、もし未見の方がいましたら、ぜひ。


posted by ORICHALCON at 21:33| Comment(4) | TrackBack(0) | Cinema