2012年07月13日

少年メリケンサック

Huluで視聴。


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少年メリケンサック

監督・脚本 : 宮藤官九郎
出演 : 宮崎あおい  佐藤浩市  木村祐一  三宅弘城  田口トモロヲ  ユースケ・サンタマリア


先日レビューした「ゲゲゲの女房」で水木しげるを演じていた宮藤官九郎が脚本・監督。

たぶん、Huluで出会わなかったら一生観る機会がなかったろうと思う。
とは言え、公開当時は予告を見て、その内容に少し惹かれていた、というのはある。


かんな(宮崎あおい)はレコード会社の契約社員。ネットで"少年メリケンサック"というインディーズ・パンクバンドの動画を発掘し、社長(ユースケ・サンタマリア)のGOサインでスカウトへ乗り出す。しかし、その動画は実は25年も前のもので(しかも解散ライブ)、現在のメンバーは50歳前後の中年であった。リーダー格であるアキオ(佐藤浩市)は飲んだくれの不良中年、弟であるベースのハルオ(木村祐一)は農家、ドラムのヤング(三宅弘城)は切痔を患ったブルーカラー、ヴォーカルのジミー(田口トモロヲ)にいたっては、過激なステージ・パフォーマンスの挙句のギターの直撃を頭に受け、その後遺症で車椅子という有様。かんなは落胆するが、会社が先行して自社サイトに動画をアップしてしまったせいで、10万アクセスの反響を呼んでしまう。さらに会社は全国ツアーのブッキング予約まで展開してしまい、事実が伝えられなくなったかんなは、会社に事実を隠したまま現少年メリケンサックのプロデュースを担当することになる。果たして少年メリケンサック復活の奇跡は起こるのか?


結果から言うと、興業でそれなりの結果を出しただけあって、面白い。いっこ前の「ヤギと男と男と壁と」よりずいぶんと笑った。

ただ、不満点もないわけではない。同じ日本人ががんばっている作品なので、あまり叩きたくはないのだが、よく出来た作品でもあるので、愛をこめて言いたいことも書かせてもらう。

先日の「崖っぷちの男」のエントリでも話題にした脚本のミッドポイントについてのいい例にもなっていたので、そのへんも絡めて続けたいと思う。


まず冒頭のかんなが社長に動画を見せ、GOサインが出るまでのやりとりを見ていて、セリフ、演出、演技、展開などが異常なほど日本の演劇臭いと思ったのだが、すぐ宮藤官九郎が演劇畑の人であることを思い出した。ただし、僕は彼の舞台を観たことはない。

前半のこのヘンなテンションと演技レベルは、よくも悪くも80年代の香港映画を思い出させる。いまだにこんなことを映画でやるのかとちょっとうんざりしそうになったが、佐藤浩市らメンバーが出てくるまでは我慢しようと思って耐えた。

ただ、これはクドカンなりの計算で、彼なりのテクニックなのだとすぐに理解できた。個人的には食傷気味だったけども、今思うと正しい。このテンションはほんとに冒頭だけで、かんなが行動をはじめてからは徐々になじみやすい演技に落ち着いていく。なじみやすいとは、「信じることができる」という意味だ。

冒頭のかんなと社長のやりとりはただ単に、物語をスタートさせるために必要なシークエンスにすぎず、やりとりもTVドラマにありそうな内容なので、観客にとって興味の持続する部分ではないことをクドカンは承知している。なにより観客はこのあとすぐの展開(メンバーはリタイアした中年)というのもあらすじで知ってるわけだから、ここで下手に普通に落ち着いちゃったらだめで、アドレナリン注入が始まっていないといけない。
退屈な映画というのは、幕開けからしてつまらないことが多い。クドカンは「そのうち面白くなるから」とでも言い訳しているような、よくある退屈な冒頭シーンを回避しようとしているのがわかる。

前半部分(上映時間のちょうど半分まで)の構成はさすがで、一気に見せてくれる。日本の作家でこんなにテンポよく持っていける人は少ないんじゃないだろうか。基本的に展開はマンガなのだが、丁寧に作られている。
ミッドポイントもあり、それが上映時間のド真ん中という理想位置に置かれている。

それは再結成した少年メリケンサックが最初にやる名古屋ライブのシークエンスなのだが、ここにいたるまでウジウジせず一気にいくという構成が素晴らしい。日本の脚本の傾向は、ここにいくまでウジウジしてひっぱるクセがある。つまり、そこを到達点のひとつとしてしまい、そこまでこぎつける過程を描こうとしてしまう。
一発目のライブなので失敗はできない(失敗の可能性は高いのだが)。しかも少年メリケンサックは25年前に解散し、今はみんなオヤジでひどい状態というのはかんなしか知らない。それの最初のライブなわけで、こういう要素はつい、ひっぱってしまうのだ。
しかしクドカンはそんなもったいぶることはなく、あっさりとここまで持っていく。おかげでここが素晴らしいミッドポイントになっている。

「ライブをやるが、やっぱり大惨敗」という絶望的な結果を叩きだすというものだ。さすがなのは、ここにいくまでに観客が「もしかするとこいつらここでなにかしら一発かましてくれるかも?」と淡い期待を抱くように構成されていること。

これのおかげで、「これからどうなるんだろう」となる。つまり、後半は観るに値するわけだ。

「崖っぷちの男」はこれをせずに、金庫破りの過程でなんとか引っ張っていけてしまってるというパターン。
僕は、もっと早くミッドポイントを持ってくるべきだがそうするとそのあとの練り込みが大変、ということを書いた。


で、まさにその大変さをこの「少年メリケンサック」は教えてくれる。

ミッドポイントに見える名古屋ライブから以降、一気に勢いを失ってしまうのだ。

前にも書いたように、素晴らしいミッドポイントは観客に期待感を抱かせる。そのかわり、その期待感という手強い相手と向き合える脚本に仕上げなければならい。穿った見方をすれば「崖っぷちの男」はそれを回避してうまく仕上げたとも言える。
しかし、「少年メリケンサック」は挑戦した。が、やはりなかなか簡単ではなかったようだ。

プロットは途切れ途切れになるし、ストーリーとは無関係のお遊び要素も増えてくる。
また、先にこの作品を観た知人と話した時に聞いた疑問、「なぜいきなり広島ライブが成功したのか?」という不可解な展開もある。
これは確かにわかりにくい。僕もいまだにはっきりとは答えられない。考えられるとすれば駆けずり回った商店街での会話の中などにあるのかも知れないが、観客が納得するには不充分な気がする。

後半は、つい笑ってしまうシーンでなんとか興味をつないでいけるが、前半の勢いがよく出来ているだけに、失速感が拭えない。
後半はかんなの「気づきと変容」の物語で(もっと言えば、作品そのものがそうなのだが)、それプラス少年メリケンサックのメンバーの過去の精算も盛り込んでるため、かなり高度な構成力が必要になるものとなっている。
こういう時、テクニックとしては、かんなとメンバー(特にアキオ・ハルオ兄弟)の抱える問題になにかしら共通点(類似性)をサブリミナル的にせよ持たせるというのがあるが、かんなとハルオたちは世代も性別も生きる世界も違うせいか、かなり分離させられてしまっている。

この生まれてしまっている距離感のせいで、逆に構成が難しくなってしまっているのだ。
こういうときは、ミッドポイント前に一旦戻ることでヒントが出てくる。つまりもともとの目的は何だったのかということで、この作品でいえばそれは「少年メリケンサックの復活と成功」である。ここはぶれてはいけないと思う。
しかし後半は「組んでしまったブッキングを消化する中途半端なロードムービーまがい」の展開で、前進・改善というエネルギーが希薄だ。

キャラクターに最初に持たせた使命は絶対に忘れてはならないし、観客にも忘れさせてはいけない。忘れるどころか、骨の髄まで使い倒さなければならない。そこへ向かうことによってキャラクターが変容したり、問題が解決するならこれは素晴らしい物語となる。というか、それが物語というものだ。
しかしかんなはことあるごとにその目的を忘れ、立ち止まったりどっかへ行ったりすることによって変容したり気づきを得たりする。これが勢いの低下を感じさせる原因となっている。

少年メリケンサックの復活というゴールはあいまいになっていて、そして誰がどのようにそれに貢献したかもはっきりとしない。というか、実は誰も貢献していないに等しいディティールになっている。かんながしたことと言えば、巡業のために実家の車を提供したことと、その運転ぐらいである。もちろん、本当はそれだけじゃないはずだが、映画としてちゃんと絵になっているのはそれくらいしかないということ。映画は絵だからだ。で、あとはいざとなると逃げたり、酔いつぶれたりしているだけだ。

メンバーも、ブッキングの消化しかしておらず、目的がわかりづらい。アキオでさえ、なぜやりたいのかがわかりにくい。唯一、ドラムのヤングが「楽しい」という体現をしており、そして彼がまた唯一、「生きているうちにもっとバンドをやりたい」というバンドへの想いを吐露する。その意味では、ラストに本当の目的を達したのはヤングということになる。(もちろん、そういう表現はされていないが)

パンクバンドなどを題材にしている以上、観客の多くは「いつかどこかでイカせてくれる」と思っているはずで、なにかしらのカタチで昇華的体験や、カタルシスのシーンがくると頭のどこかで感じてるだろう。
しかし、そういうのはこない。
劇中、かんなのセリフで「パンクとはなんなんですか?」みたいなのがあるが、「これがパンクだ!」と嘘でもやってみるという試みもない。

最後の最後に、「そういう映画じゃないんです」と言われてしまう。


叩き過ぎたかも知れないが、お遊び要素が面白いのでつい最後まで観てしまう。この笑いの部分に関してはほんとに面白い。だけに、惜しい。


笑いに関しては、特に前半が「装い」をプロットに持ってくる気配があったので、大いに期待してしまった。
この「装い」というのは、「ほんとは中年バンド」という事実を隠してなんとかしようとするプロットである。
この「装い」や「悟られまいする」というプロットはコメディの最大なる王道で、良質なコメディのほとんどは、必ずと言ってよいほどこの「装い」と「悟られまいとする」という要素を軸としている。

古くは狂言の附子にはじまって、チャップリンもそうだし、Mr.ビーンもこの「装い」と「悟られまいとする」に心血を注いでいる。TVシリーズコメディ「フレンズ」なども、各話ごとに必ずのようにこのプロットが利用されるし、たとえばやはり佐藤浩市出演の三谷幸喜作品「マジックアワー」などは作品まるごとがそのプロットだ。
我々は「カツラが取れてハゲがあらわになる」という古典的な場面に今も昔も必ず笑ってしまうというシンプルな例から、このプロットが人間にとって根源的かつ強力なプロットだということがわかるだろう。

なぜこのプロットがコメディ向きかというと、キャラクターにとってその「目的」は「果たすもの」ではなく、「維持」するという傾向になりやすく、したがって笑いを呼ぶ原理、「バランスと、そのバランスの崩れ」を生みやすいからだ。




言いたいことを書いてしまったけど(そして長くもなってしまったが)、扱っているテーマも良いし、中規模の邦画というバジェットで考えたらがんばった作品だ。役者も良かったし、クドカンの才能も間違いないものだと再確認したので、これからも応援したいと思っています。


さて、この作品はパンクバンドを扱っているのだけども、映画のポスターにもあるキャッチコピー、「好きです! パンク! 嘘です!」というのはかなり深いと思う。
劇中の、かんなの「パンクってなんなんですか?」というセリフだが、これにはっきりとした答えを出せる人はなかなかいないと思う。

僕なりに言ってしまうと、そもそも日本でやっちゃったらもう、それはすでにパンクじゃない気がするわけで、つまらない言い方をすれば、英国の政治情勢の賜物みたいなものでしょう?


これを観てて思い知らされたのは、音楽の本当の在り方にについて。

違法ダウンロードの罰則が設けられたってんでちょっとネットでも騒がれてますが、それもCDの売れない音楽業界が後押ししたなんとかって・・・・

でもね、IT・デジタル化の進行とともにこうなるのは必然だったんでしょ。CDなんか売れないに決まってるし、てか、もっと売れなきゃいいんだ。
大体、ミュージシャンがスタジオにこもって、数週間だかで録音しただけのシロモノを大量コピーして売るだけで、大金稼ぐってのがおかしいんだよ。
ミュージシャンは本来は演奏して稼ぐべきなわけで、だから本来の姿は、ライブで稼ぐというのが原型なんだよね。

音楽がいつのまにかソフトウェアとして一人歩きしすぎちゃったからこんなことになってんだよ。これからソフトはどんどん売れなくなる。なぜなら、ソフトは「無料であたりまえ」の時代がそこまで来ちゃってるわけだから。

じゃあどうするかって言ったらあなた、「ハードウェア」の時代に戻ればいいんだよ。戻るというより、取り戻す。ハードウェアとは、ミュージシャンそのもののこと。
映画の中ではではせまいライブハウスに若者が詰めかけ、バンドに酔いしれる姿がある。これはCDというソフトウェアではできないわけでしょ。ハードウェアに会いに来てやっと味わえるわけだから。

ラジオヘッドだってすでに、ニューアルバム無料でリリースして、逆にコンサートで稼ぐって方式に移行してたりするわけで、こういう原点回帰は早くした者が勝つと思いますよ。CDは廃れるかもしれないが、こういうやり方は根付いたら廃れようがありませんよ。


ソフト化でいい思いしちゃってた人たちが、時代の移り変わりでわぁわぁ言うようになっちゃった。ハードをないがしろにしてきたせいだと思いますよ。

映画だってもろソフトウェアなわけで、ビデオテープとレンタル屋出現のおかげで危機感迫った時もあったですよね。あの頃は公開時に「この作品は公開後半年間はビデオ発売されません」なんて注意書きあったでしょう。だから「今劇場で見ろ」みたいな。でも今度は逆に、公開終了後すぐにDVD化して、二次利益をあてこむ方向へシフトした。
でも今度はネットの発展で、映像流通がスムーズになっちゃって、またどうしようって感じになってきたわけだけど、そうするとやっぱりハードの力を見なおさなきゃならんってことにもなる。

たとえば最近やたら増えた3D映画ってのも、裏事情としたらこの「ハード性の強化」であって、これは劇場いかないと体験できない。つまりライブハウスに行かないとだめってこと。3Dに業界が飛びついたのは、そういうのもあると思いますよ。

まあ、映画はおいといても、音楽はまだまだ全然可能性残ってる。死にようがない。でもそれはハードウェアであるミュージシャンの在り方次第ですけども。小室さんとかがスタジオのシンセで打ち込みやって、それを誰かに歌わせただけで何億という金稼げたりなんて時代経験してたらそりゃ、ソフト化には励むだろうけど、ハードは弱まるでしょう。

でもこれからです。応援してますよ! 日本の音楽業界!







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2012年07月12日

Tweetbot お気に入りのiPhone用Twitterアプリ

iPhoneのリセットをきっかけに、Twitterをよく見るようになった。そういう意味ではよかったと思うw

いろいろTwitterクライアントも試し散らかしてみたが、最後はこれに落ち着いた。





Tweetbot

230円

[App storeで見る]


機能性でSOICHAを使っていたのだけど、なんだか使ってて疲れるアプリだったんですね....

そこへお気に入りのPastebotを作っているTapbotsがTwitterアプリを作ったということで、これはたぶんいけるだろうと買ってみたらドンピシャだった。

使いやすい、楽しい。ここでよく紹介するCamera+と連係できるのも良い。

はりきって紹介しようと思ったけど、まったくもって素晴らしく紹介してくれているサイトさんが先にあったので、そちらをご紹介します。


iPhoneのTwitterクライアントを次なるステージへ誘う「Tweetbot」〜 与えてくれた5つの感動 / 覚醒する @CDiP


こちらを見れば、どんだけすごいアプリかわかっていただけると思います。Twitterをよくやる人ほどわかっていただけると思います。


とにかくUIがデザイン・操作性ともによくできていて、使ってて疲れません。


また、Mac用クライアントの開発も始動したらしいので、これから楽しみです。

iPhone&Macな人は、チェック&トライ!




posted by ORICHALCON at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Mac & iPhone

ヤギと男と男と壁と

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ヤギと男と男と壁と

監督 : グラント・ヘスロブ
出演 : ジョージ・クルーニー  ユアン・マクレガー  ジェフ・ブリッジス  ケヴィン・スペイシー


これは「ゾンビランド」を観に行ったときに、予告編がやっていて印象に残っていた。
というのも、このふざけた感じのタイトルは千原ジュニアさんがつけた邦題であり、予告編でも千原さんが出てきてアピールしていたんですな。ちなみに原題は「The Men Who Stare at Goats」。直訳すると"ヤギを見つめる男"、って感じかな?

スターが4人も出てるという贅沢なシュール・コメディです。
このストーリーは予告編でも"実話"として宣伝されていたが、原作は公式サイトによると「実録・アメリカ超能力部隊」というノン・フィクション作品。
この原作がどういったもので、またこれをどのように料理しているかはわからない。そもそも内容も「マジかよ」言いたくなるような物語だ。

ユアン・マクレガー演じる記者のボブは、妻との結婚生活が破綻したのをきっかけに、半分ヤケ気味で勃発間もないイラク戦争の取材へ向かう。そこで知り合った元軍人のスキップ(ジョージ・クルーニー)が、米軍の超能力部隊「新地球軍」のエリートだったことを知り、彼を取材することになる。

この新地球軍とは、70年代に発足されたサイキック養成セクション。米軍がまじめに超能力兵士の開発をしていたというのだ。当時はユリ・ゲラーの登場などで超能力ブームでもあったし、冷戦時代ということもあり「ソ連が超能力開発をやっている」などという噂がのぼるだけでも、こういったプロジェクトに予算がおりたりする。

で、なにをしているかというと、この内容からしてもうコメディなのだが、たとえば「ヤギを見つめるだけで殺す(心臓を止める)」という訓練があって、兵士たちはヤギをひたすら凝視しつづけたりする。邦題、原題ともタイトルの由来はここから来ている。

ジョージ・クルーニーも一生懸命ヤギを見つめつづけるのだけど(そして彼はついに殺してみせる)、そこはかとない非科学的ムードが漂う理由は、その体質がニューエイジの流れを汲んでいるせいで、ジェフ・ブリッジス演じるベトナム帰りの教官、ジャンゴは長髪を垂らしたヒッピーである。教官というより教祖みたいな存在で、麻薬で兵士を覚醒させようとするなど、オ◯ムみたいなことをやっているw

ケヴィン・スペイシー演じるフーパーは当時、ジョージ・クルーニーのライバル的存在であり、着実に超能力を開花させていく(かのように見える)スキップに敵愾心を持ち始め、ついに部隊の解体とジャンゴの失脚を招き、スキップも陥れる。

そんな70年代を駆け抜けたスキップ、ジャンゴ、フーパーがイラクという戦場で再会するのだが、米軍において出世しているフーパーは、巧みに予算を引き出して新地球軍の再生をイラクで試みており、やっぱり大量のヤギを囲っていたりするwwww


ベトナム戦争、麻薬、ヒッピー、ニューエイジ、いかにも70年代なわけだが、この訓練をしていた時こそがスキップにとって一番幸せな頃であって、今になってもあの頃への郷愁や、教官のジャンゴへの敬愛にとらわれている。

幸せなころという意味では、それは米軍にとってもそうだったかも知れない。

やっとベトナム戦争が終わって、冷戦はあったとしても逆にそれが直接的戦争を抑止しており、中東にやたらと行かなければならない今と比べればはるかに平穏だったのかも知れない。実際、劇中の米軍、すくなくとも新地球軍ではヨガや瞑想やったり、音楽にあわせて手をとって踊ったりと呑気だ。スキップも結局は実戦らしい実戦を経験していない。スキップも70年代もある意味、ヤギだったのかも知れない。

70年代は、理想を追う、もしくは理想そのものを見つけようとあがいた時代とも言える。
そして結果的に、スキップたちはこの現代において、この時代の住人にはなれなかった。

記者のボブは最後、アメリカに戻ってこの取材内容の売り込みをするが、どこからも相手にされずに終わる。誰も70年代などお呼びじゃないのだ。それどころじゃないのだ。

別に「70年代は良かった」というような作品なわけでなく、逆に「ひどかった」と言っているともとれる。ただ、青春は誰にとっても一番辛くもあり良くもある時代ということ。この今、なんでもないように我々が過ごしている2010年代も、いつか多くの人にとって特別な時代となる時がくるだろう。

このブログでも紹介した、僕の好きなボストンのMore Than A Feelingが、スキップの思い入れのある曲として登場し、エンディングもこの曲で締めくくられる。この映画にとってとてもいい選曲だと思うし、いい使い方!


劇中の笑いのツボは、一旦はずしてしまった観客は最後までそのツボにはまれないような類のものなので、リラックスして観るのがいいと思う。


さて、邦題の「ヤギと男と男と壁と」だが、申し訳ないが今思うとイマイチだと思うです。(ただし、邦題ととしてだけ見れば、相当いい線はいってると思う)
コメディを意識しすぎちゃったんじゃないかなあ。コメディは不景気では意外と入らないんです。
キャストは豪華なので、普通に「面白そう」と思わせて、「意外にも笑えた」とさせた方が良かったんじゃないでしょうか。
というか、原題のThe Men Who Stare at Goatsもいろんな意味が含まれてるけど、すっきりしないというか、微妙なのかも知れませんね。

偉そうに言うが、じゃあ、お前ならどうするかって?

うーん。

「Goat Camp」(笑)。

posted by ORICHALCON at 17:32| Comment(1) | TrackBack(0) | Cinema

レ・ミゼラブル

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レ・ミゼラブル

監督 : ビレ・アウグスト
出演 : リーアム・ニーソン  クレア・デインズ  ユマ・サーマン  ジェフリー・ラッシュ


Huluで視聴。さすがに一日一本は辛くなってきてます。

原作自体は、個人的にはかなり早くから出会っていました。
小学校の時、ポール牧さん座長の芝居に出演したことがありました。僕は若様役で、ポール牧さんが市井の侍。その交流の話で、今は無き浅草国際劇場での興業。公演中に誕生日を迎えたため、ポール牧さんからプレゼントを頂いたのですが、その中に「ああ無情」があったのです。一応、児童書のかたちを取っていましたが、とんでもない厚さと重みがありました。

さてこの映画。1998年公開なので、14年も前の作品。コゼット役のクレア・デインズの若いこと初々しいこと(>_<)
それよりもさらに前の「ロミオ+ジュリエット」や「レインメーカー」以来お目にかかっておらず、いきなり「ターミネーター3」で見かけて「うわ! おばさん!」と焦ったのを覚えています。まさに"レ・ミゼラブル"・・・

いずれにせよ、この原作を完全に映画化というのは不可能に近いと思いますし、やはりこの映画作品も結構アレンジされています。
有名なミュージカルの方の内容は、もう20年以上も前に観たのでうろ覚えですが、焦点の当て方は似てるんじゃないでしょうか。
やはり看板にもなっているコゼットとのドラマと、ジャベール警部との確執です。

ジャン・バルジャンをリーアム・ニーソン。いい俳優ですよね。とにかく彼というだけで、今回観てみる気になったのです。
「ミッション」で印象に残り、「死にゆく者への祈り」で「あっ、なんか出てる!」と見つけて、それからマークしようとしていたのですが、とにかく長いこと端役でしか出会えない俳優でした。「ダーティー・ハリー5」では映画館を5件ハシゴした最後だったのでボーッとしてて、出ていることに気づかなかったくらいです。今思うと、ちゃんと顔出してるのにねえ・・・

サム・ライミの「ダークマン」で初主演(たぶん)。これなかなかの痛快作なのですが、今年に入ってまたDVDで観てみてびっくり。恋人役がフランシス・マクドマンドだったんだなおい!!www

「シンドラーのリスト」でスターの仲間入りしたと言ってもいいでしょう。

苦労人の彼ですから、ジャン・バルジャンも様になっています。この人は普通にしてても美しい苦悩顔ですからずるいですよね。


肝心なジャベール役にジェフリー・ラッシュ。この人はなんといっても「シャイン」ですが、最近では「パイレーツ・オブ・カリビアン」のスケスケ亡霊海賊、ヘクターでおなじみです!!
見た目が、個人的に原作からイメージしていたジャベールとはちょっとちがくって、どこか気品がありすぎたかなあ。
なぜそこまで執拗にジャンを追い詰めるのか、というのをやはり映画では完全に描ききる余裕が無いので、そのへんはもっと醸しだす必要があったかも知れません。上手い人なんですが、基本的に「もうちょっとやってもいいんじゃない?」と言いたくなるほど「おさえの演技」の人なので・・・・ただ、厳粛で、司法が宗教と化している男と考えたら、こういうのもありかな?


ファンテーヌにユマ・サーマン。マクロビオティックのせいか「キル・ビル」の時点ですでに鶏ガラのような女性になっちまってましたが、かろうじて艶と脂とフェロモンの残っている彼女が拝めます。それでも劇中、娼婦に身を落とした時に「ガイコツなんか抱けるか」などと言われてしまいます・・・・
ユマ・サーマンは中世の、薄幸女性がやっぱりいちばん似合いますね!! 中世顔ですよまさしく。


作品自体はどうだったかというと、「あたりさわりのない」出来です。とてもさらっとしてます。しすぎてる言ってもいいかも知れません。どちらかというとドラマ(ストーリー)を見せていく感じですが、個人的にはもっと「人間」に肉薄してほしかったですね。誰一人必死に生きている感じがしないのです。汗や吐息を感じません。痛々しいほど熱演しているユマ・サーマンが浮いて見えるくらいです。
ジャン・バルジャンも、司教の「銀食器はあげたよ」事件から、さらっと改心して、さらっと成功、さらっと市長などに登りつめています。捕らわれたジャベールをさらっと逃して、そのジャベールもさらっと最後、川に身を投げます。
こうまでさらっとサラサーティ夜も安心♪にされると、観た気がしませぬ。
「ジャン・バルジャン、がんばるじゃん!」と思わせてくれないと。(ごめんなさい)

1998年頃といったら、「タイタニック」とか公開されたばっかりのあたりで、「なんで今さらレミゼなの?」というのが役者にもスタッフにもあったのかも知れません。まあ、たしかによくこの企画が通ったなとも思います。
だから「まあとにかく原作は"テッパン"なんだから、それなりにやればかっこはつく!」的なノリしかなかったのかも知れません。

ヴィクトル・ユーゴはもういませんが、彼に見せてもOKが出るか? くらい焦って作らないとだめなんじゃないでしょうかね。


さて、「レ・ミゼラブル」は2012年版が製作されています。公開は今年になるんでしょうか?
個人的にジャン・バルジャンがもっとも似合う俳優はラッセル・クロウだと思っていたのですが、今調べたらなんと、ジャベール役やるそうですね!!!!! (まあたしかに年とりすぎてるか・・・・)
ジャン・バルジャンはヒュー・ジャックマンっちゅうことらしいけど・・・ええ〜〜〜? どうなんかな〜?w

ジャン・バルジャンは、かつてはジャン・ギャバンやジャン・ポール・ベルモンドなど名優がやってきたキャラクターですが(どれも観ていません)、時代なんでしょうかね。





posted by ORICHALCON at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema

2012年07月11日

崖っぷちの男

新宿バルト9にて、アメイジング・スパイダーマンのあと勢いで鑑賞。
と言っても実は、この作品優先で行ったのだが、やっぱりスパイダーマンも観たくなり、タイムテーブルの都合でスパイダーマンが先になった。

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崖っぷちの男

監督 : アスガー・レス
出演 : サム・ワーシントン  エリザベス・バンクス  ジェイミー・ベル  ジェネシス・ロドリゲス  エド・ハリス

※注意 ネタバレなし

追記 : 最後のコメント欄にネタバレのある内容が追加されました。ご注意下さい。

原題は「MAN ON A LEDGE」。自殺志願者がビルに現れたりした時に、警察用語で使われるらしいです。Ledgeは建物の出っ張り部分とかを指すのでそのまんまですが、僕は原題のままでも良かったかなあと思います。

監督は聞いたこともありませんでした。主演は「アバター」のサム・ワーシントン。個人的には実は、あまり思い入れのない俳優です。なんでだろう。その都度いつも、印象に残りません。ごめんねサム。

まあ、さておき、この「崖っぷちの男」。なかなか面白かった!
そこはかとない物足りなさはあるんですが、それは見終わってからあれこれ考えた結果であって、鑑賞中はずいぶんと引きこまれました。

この作品は現在、封切りしたばかりなので、ネタばれのない程度にレビューしたいと思います。

主人公のニックは元警官で、しかも25年の実刑を受けた服役囚。それがいきなりNYのマンハッタンにあるホテルの壁際に立つという話なんですが、そう、脱獄囚なのです。彼が目論んでいるのは自分の無実の証明。今にも飛び降り自殺しそうなニックの出現に、下の道路はパニックになります。警察が出動し、道路は封鎖、集まるやじうまとTV局。
そんな行動でどうやって無実をはらすというのか。味方はたった二人。しかもこの二人、特殊な能力があるとかではなく普通の一般人なため、成功するのかどうか、いやでもハラハラさせられます。

この作品を観ようと思ったのは、エド・ハリスが出ていたから。すんごく大好きな俳優です。
ただ、この作品の物足りなさには、エド・ハリスの扱い方にも原因があります。

この企画は実現するのに10年かかったそうです。まあ、ハリウッドでは珍しいことではないんですが、それだけ時間があったのなら、脚本の構成にもっと工夫の余地があったんじゃないかなーとは思います。

今からちょっとアラつつきみたいなこと書きますが、基本的におすすめの作品ですので、偏見なしに読んで下さい。

この作品は、脚本における、いわばシド・フィールド・メソッドで言うところの"ミッドポイント"と呼ばれる折り返し地点がないのが問題かもしれない。
これはどういうことかというと、専門的になりすぎてもあれなので、簡単に説明してしまうと、観客が「さあこれからどうなる」と改めて期待がよせられるポイントのこと。これだけのサスペンスでありながら、このミッドポイントが薄い、もしくは深すぎる(遅すぎる)。
人々の評価が高い作品というのは、大体このミッドポイントがちょうど上映時間の中間点にきていることが多い。

シド・フィールドはあるシナリオ構成メソッドの提唱者で、アメリカではかなり支持されている。ハリウッド作品、特にヒット作やオスカー作品を分析すると、ほぼこのメソッド通りに書かれているのがわかる。
ただ、盲信すぎるのも問題で、脚本の世界とはもっと柔軟だと僕は思っている。しかし、決まった尺内にうまく物語を構成するという技術を体系化したという意味では、これの右に出るものはないなと確信します。

で、このミッドポイントというのは、観客がさらに物語に引き寄せられ、注意力の持続を維持させる働きがあり、また、ミッドポイントはクライマックスにほぼ必ず(関節的にせよ)関与する。によって、場合によってはクライマックスを引き立たせる役割も併せ持つ。

ミッドポイントの例を挙げれば、そうだな〜・・・誰もが観てそうな映画をあげるなら・・・そうだ、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でいこう。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のミッドポイントは、30年前にタイムスリップしたマーティーが、「母親と出くわしてしまい、母親の初恋の人になってしまう」ところだ。これによって、このままではマーティーの存在が消えてしまう(マーティーが生まれる未来が来ない)・・・というのが新しいプロットとして加わり、ただ単に未来に戻るだけではない目的が生まれる。

で、この「崖っぷちの男」は、あまりミッドポイントなどという手法は意識していないように見えるが、それっぽいものがまったくないわけではない。しかしどれもパンチ力不足でミッドポイントの役割には程遠い。ともかくミッドポイントというものを強く意識してないにしても、どうしても物語を構築していく以上、そういう性質に近いポイントというものが用意される。それがクライマックスのちょい手前にあるのだ。
ネタばれさせないと言ったので、それがなにかはここでは書かないけれども、観客が「うわー、これからどうなるんだろう」と思った頃には、上映時間がほぼ消費されており、クライマックスも駆け足でやってくるため、「あ、もう終わったか」という感じになる。

また、エド・ハリスは主人公の敵役で、いわば悪の黒幕なのだが、この彼があまりなにもしないし、ほぼなにも機能しない。ストーリーを作らないのだ。彼は主人公を陥れた張本人だが、それは過去のことであって劇中でもそのプロットは描かれない。こういった理由で、人間vs人間という、こういう類のサスペンスに重要なエッセンスが希薄になってしまっている。

言うのは簡単なのだが、あえて言わせてもらうと、ミッドポイントとなり得る部分(あるひとつの目的が果たされた時)をもっと早めに持ってきて、ミッドポイント以降にエド・ハリスやその仲間との攻防(それは心理戦でもなんでもいい)を盛り込むべきだったと思う。
つまり、手強い相手の、その手強さが描かれておらず、それと対峙する主人公たちという旨みが盛り込まれていない。巧妙に陥れられ、25年の実刑を受けた主人公だが、もう一度その巧妙さと戦うプロットにしたら、この上ないサスペンスになっていただろう。



なんか、言いたいことを書いてしまったが、これは「欲を言うなら」であって、結果的には楽しんで観たことは強調しておきます。
だからここからは少し良かったことも書こうw


主人公のニックはホテルの壁から動けないので、この領域はある意味、"静"の部分。対して、他で彼の指示のもとに動く"動"の領域があって、この構成はとても面白かった。さらにニックは警官やニューヨーク市民に囲まれており、TVカメラが向けられているため、彼はその状況を生かしたいろいろな作戦を展開するのも見所だ。

ニューヨーカーたちについては、ややステレオタイプな感じがしたけど、こういうムードや演出はロスとかが舞台じゃ、やはり作れないわな!

俳優陣についてはあまり印象に残らなかったのだが、注目はジェネシス・ロドリゲス。これだけ美人でセクシーな上、あれだけ活躍するおいしい役どころなら、間違いなく次回作のオファーがかなり来ているはず。「トータル・リコール」でシャロン・ストーンを見た時に感じたような予感がします。もしかしたらブレイクするんじゃないかな。

あと、心憎い役どころでビル・サドラーが出てくる! これに気づいた人は、「まさか・・・」となるかもですが、最後はまさにその「まさか」にびっくりしますよ。
「ダイ・ハード2」では引き締まった悪役を演じてましたが・・・・やはり老けましたねえ。最後に見たのは「ミスト」だったなあ。


まあ、なにより30cmもないようなビルの出っ張りに立ちっぱなしというシチュエーション。絵も圧巻です。劇伴もよかったし、男一人で観てもよし、カップルで観ても良しの娯楽サスペンスですよ。ただし、高所恐怖症の人はご注意。





posted by ORICHALCON at 15:30| Comment(9) | TrackBack(0) | Cinema